黒人が表現によって尊厳を取り戻し、新たな自己像を獲得するまで。「ハーレム・ルネサンスと大西洋横断モダニズム」(メトロポリタン美術館)レビュー(評:國上直子)
ポートレイトから見える葛藤、社会構造、新たな黒人像の獲得
ハーレム・ルネサンス時代の作家たちにとって、「奴隷制度から解放され都市での現代的な生活を実現した黒人像をいかに表現すべきか」というのは一大テーマであった。本展では、黒人の姿が描かれた作品が大多数を占め、とくにフォーカスが当てられているのが、ポートレイトである。 サミュエル・ジョセフ・ブラウン・ジュニアの水彩画《自画像》(1941頃)には、ブラウンの、鏡越しにこちらを見据える姿と、伏し目がちな横顔が描かれている。ここには、W・E・B・デュボイスが「二重意識」と呼んだ、白人優位社会が黒人に割り当てるステレオタイプと自己イメージのはざまで揺れ動く、アフリカ系アメリカ人の精神性が表されている。終わりの糸口が見えない二重性を生きることへの、疲弊や孤独が感じられる作品となっている。 ローラ・ウィーラー・ワーミングの《母と娘》(1927頃)は、肌の色は違うが、顔のパーツや佇まいがそっくりな親子を描いた作品だ。当時、異人種同士が結婚し家族を持つことに抵抗を感じる人は少なからず存在したが、それについて公然と語るのは憚られる状況があった。本作はそうした社会の「沈黙」に対する挑戦的な側面を持つ。さらには、同じ人種においても肌の色が濃い方が偏見や差別を受けやすい「カラリズム」の問題も提示している。親子でありながら異なる処遇を受けるという、残酷な社会構造もここでは示唆されている。 ジョン・N・ロビンソンの、《バートン夫妻》(1942)は、ロビンソンの育ての親である祖父母のダブルポートレイトだ。写実主義で描かれているが、画面端のダイニングテーブルの遠近が歪められ、圧迫感を与える。ふたりの表情や服装、隅々まで整えられた室内を見ていると、ロビンソンは厳格な家庭で育ったのが窺える。この作品はロビンソンの私的なテーマを含むと同時に、グレート・マイグレーションを経験したアフリカ系アメリカ人の姿を総体的に表現している。彼らが切望した安定した暮らしと、人間としての尊厳の回復もここには描かれている。 ハーレム・ルネサンス時代の作家の意識の変化を如実に見ることができるのは、ウィリアム・ヘンリー・ジョンソンの作品だ。ジョンソンは、ニューヨークで伝統的絵画を学んだあと、1926年にフランスへ留学し、10年以上ヨーロッパで制作を行なっていた。この間の作品も紹介されており、ヨーロッパ時代はモダニズムの影響を受け、表現主義を多分に取り入れていたことがわかる。しかし、30年代後半にニューヨークに戻ると、アフリカン・アメリカンの文化や伝統を強く意識するようになり、アフリカンマスクやフォークアートの要素を取り入れた「プリミティブ」な表現へとシフトした。ジョンソンの描く人物は簡素なフォームで平面的だが、鮮やかな色彩と大胆な構図が用いられ、独特の躍動感を湛える。この頃には、文化運動としてのハーレム・ルネサンスの勢いは弱まっていたものの、その影響はまだ残っていたことが窺える。 ジョンソンは、40年代ごろから妻の病死など、不遇な出来事が相次いだことで心身に不調をきたし、50年代半ばに制作を辞めてしまった。のちに、ジョンソンの残した大量の作品は、スミソニアン・アメリカ美術館に収蔵され、同館が回顧展を開催したことで、ようやくジョンソンの功績が知られるようになった。それはジョンソンが亡くなった翌年、71年のことだった。本展ではジョンソンの作品が多数紹介されており、彼の再評価の動きが、改めて進んでいる様子が見えた。 紹介されている作家の多くは、伝統的な美術の技法を学んだ末に「新しい黒人像」の描き方を模索した。当時の政治社会的な背景を抜きに、形式主義的アプローチのみで読み解こうとすると、作品の歴史的意義を理解するのは難しい。本展はその点を十分に考慮した構成となっており、白人中心主義だった美術史観の見直しが、これからさらに進むのだと予感させるものとなっている。
國上直子