父親の行為が「グルーミング」による支配だと大人になって知った。「お前のため」と囁くトゲは心に深く突き刺さり、やがて膿む
父親による性虐待、母親による過剰なしつけという名の虐待を受けながら育った碧月はるさん。家出をし中卒で働くも、後遺症による精神の不安定さから、なかなか自分の人生を生きることができない――。これは特殊な事例ではなく、安全なはずの「家」が実は危険な場所であり、外からはその被害が見えにくいという現状が日本にはある。何度も生きるのをやめようと思いながら、彼女はどうやってサバイブしてきたのか?生きていく上で必要な道徳や理性、優しさや強さを教えてくれたのは「本」という存在だったという。このエッセイは、「本」に救われながら生きてきた彼女の回復の過程でもあり、作家の方々への感謝状でもある。 * * * * * * * ◆「グルーミング」に支配された心の行方 両親からの虐待被害、中でもとりわけ父からの性虐待による後遺症に苦しむ日々を送っていた20代前半、ある男(仮名:S)に出会った。Sは、一貫して穏やかな人間だった。 だが、表面上の温厚さの下に、狂気を隠し持った男だった。「大学で心理学を学んでいる」ことを理由に、彼は私の後遺症を「治せる」と断言した。しかし、その言葉を信じた私を待っていたのは、地獄のような実験が繰り返される日々であった。 Sが私に行った実験内容の詳細については、直近の連載記事で詳しく触れている。簡潔に内容を説明すると、「無理やりトラウマとなる記憶を引き出し」「引き出した記憶をもとに被害の再演をして記憶の書き換えを行う」という、なんともデタラメな“治療の真似ごと”だった。 当然ながら、私の病状は著しく悪化した。そんな時に訪れた書店で出会ったのが、小川洋子氏の短編小説集『完璧な病室』だった。
◆無防備な子どもの如く 本書に出会ったことで、私はようやく正気を取り戻した。Sの言いなりになっていた自分は、過去、両親の言いなりになっていた頃の私とほぼ同一であった。よくよく記憶を辿ってみれば、父もSと同じ手口を使っていた。 父は私に暴力を振るったが、決してそれだけではなかった。時に優しい言葉をかけ、上手くできた時にはここぞとばかりに褒めてくれた。ちなみに、ここでいう「上手くできた」とは、幼少期の私が、実父の性欲を満足させる行為を指す。 「お前のために教えてあげているんだよ」 「お父さんは、お前のことを一番大事に思っているんだ」 父の機嫌を損ねることなく要求に応えることができれば、そう言って頭を撫でてもらえた。それが「愛」ではないことを私はとうに知っていたのに、頷くことで己の身を守っていた。父が私に用いた行為を「グルーミング」と呼ぶことを、数年前に知った。 Sと出会った時、私はもう子どもではなかった。しかし、「後遺症」という爆弾を常に抱えて生きることに疲れていた私は、無防備な子どもの如く、Sを信じた。そして、壊れた。