ユダヤ教徒の光の祭り「ハヌカ」とは、今年は12月25日から 始まりは古代の反乱
12月に8日間にわたって行われるユダヤの祭典、民族の抵抗と聖なる奇跡を祝う
ユダヤ教の光の祭り「ハヌカ」を祝うときが来た。2024年の日程は12月25日から2025年1月2日の8日間(8夜)だ。特に現代に入ってから人気が急上昇している祭りだが、その起源は、紀元前4世紀にペルシャ帝国を征服したマケドニア王アレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)の死後に訪れた激動の世紀にまでさかのぼる。 ギャラリー:ユダヤの光の祭典「ハヌカ」、写真9点
ハヌカの起源
アレクサンドロス大王が紀元前323年に死去した後、配下の将軍たちによる覇権争いが勃発し、100年以上にわたって戦いが続いた。最終的に、セレウコス朝シリアが勝利を収め、ユダヤ(現在のイスラエル中部)を含むアレクサンドロス大王の領土の大部分を支配した。 セレウコス朝はその影響力を行使し、芸術、建築、宗教のヘレニズム化(ギリシャ化)を推進。特にユダヤでは、地元住民の抵抗にあった。 紀元前175年、アンティオコス4世エピファネスがセレウコス王に即位し、ユダヤ人を強制的に同化させようと試みた。セレウコス朝はエルサレム神殿を占拠し、ギリシャの神ゼウスの祭壇を建てた。アンティオコス4世はユダヤ教を法律で禁止し、ギリシャの神々の信仰を義務づけた。 アンティオコス4世は信仰を共通にすることで王国を一つにまとめようとしたとする学説があるが、いずれにしても、そのやり方は残忍なものだった。 「(反体制派は)棒で打たれ、体を引き裂かれ、生きたまま十字架に張り付けられました…聖典や法律が見つかると、すべて破棄されました。一緒にいた人々もむごたらしく殺されました」――ユダヤの歴史家ヨセフスは西暦1世紀、エルサレムの残忍な略奪とユダヤ人反体制派の扱いをこのように記録している。 エルサレム神殿の冒瀆(ぼうとく)とユダヤ人の弾圧を目の当たりにして、マタティアという司祭が息子たちとともに蜂起した。マタティアが紀元前166年に死去すると、息子の一人ユダ・マカバイ(マカバイは「ハンマー」の意)が後継者として戦い、ユダヤ人を率いてセレウコス朝に何度も勝利した。 紀元前164年、ユダはエルサレムを奪回。エルサレム神殿を修復して清め、ヤハウェを再奉納した。マカバイ戦争として知られるこの反乱はその後も続き、紀元前160年、ついにユダヤからセレウコス朝を追放した。 そもそもハヌカとは「奉納」を意味し、ユダがエルサレム神殿にユダヤ教の神を再奉納したときに起きた光の奇跡を記念したものだ。 タルムード(ユダヤ教の聖典の一つ)によれば、エルサレム神殿の明かりをともす油はセレウコス朝によって汚されてしまい、利用できる油は1日分しか残らなかった。それでも、燭台(しょくだい)の炎は8日間にわたって燃え続けた。この奇跡が、今も愛される祝祭に発展したのだという。多くの人が神に感謝し、光が闇に勝利したことを祝福するのだ。