「ディエゴは不滅だ」メッシがペレがクリロナが…マラドーナ氏の死去を世界が追悼
海外メディアも次々とマラドーナ氏の追悼記事を掲載した。英国のガーディアン紙は、「アルゼンチンは国として3日間喪に服すことを宣言した」と伝え、「マラドーナ氏はキャプテンとして、歴代最高の技術、創造性、力強さ、願望を披露して1986年にアルゼンチンをワールドカップの栄光へ導いた。イングランドに2-1で勝った準々決勝でフォワードの彼は『神の手』という悪名高く、いたずら好きな一面を見せ、おそらく歴代で最も偉大なゴールを奪った」と紹介。 「マラドーナ氏は、またクラブチームでも成功を収め、最も顕著なところで、ナポリを1987年に初めてセリエAのタイトルに導いた。1987年のイタリア杯、1989年のUEFA杯に加え、1990年に2度目のタイトルへと続け、これらはユベントス、ミラン、インテルといったイタリア北部にある大クラブの陰にいたチームにインパクトをもたらした。ナポリは、2000年に彼の背番号10番を永久欠番とすることを発表している」と、その功績を称えた。 その一方で、「だが、このナポリの7年間で、マラドーナ氏はコカイン依存へと引き寄せられた。彼はナポリを離れた年の1991年に薬物違反で15カ月の出場停止処分を受けた。3年後には米国でのワールドカップでエフェドリンの陽性反応が出て追放された。そこからのマラドーナ氏の人生は、手に負えない状態となり、2000年と2004年に心臓疾患で入院し、2度目は人工呼吸器の使用を必要とした。続く年には肥満防止のために胃のバイパス手術を受けた」と、凋落の人生があったことも記した。波乱万丈の人生を紹介した上で記事は「ピッチ上での彼の才能に影を投げかけるものは何もなく神業に匹敵するものだった」という内容でまとめられている。 米国のスポーツ専門メディアのESPNも、「サッカーの歴史で最も有名な瞬間の1つとなる『神の手』は、1986年ワールドカップの準々決勝で小柄なマラドーナ氏がイングランドのゴールネットに向けてボールをパンチしたことで生まれた」と、伝説のひとこまを紹介。 60歳の誕生日を前にした今年10月にフランスのサッカー雑誌の取材に対して「僕の夢は、イングランド相手にもう一度、今度は右手でゴールを奪うことだった」と語っていたことを記した。 「マラドーナ氏は20年以上にわたり魅力的なプレースタイルで世界中のファンを魅了した。彼の名声は、薬物依存症や、代表チームを率いたときの失敗で汚されたにもかかわらず、サッカー狂のアルゼンチン人に『ゴールデンボーイ』として崇拝され続けている。ユニホームに付けた背番号10は、彼そのものを意味し、同じくブラジルの偉大な選手ペレ氏と共にマラドーナ氏は歴代最高の2選手とされてきた」と続け、ペレを、はじめとするサッカー界からの追悼メッセージを伝えている。