女子走高跳の髙橋渚にパリ五輪代表入りの可能性、日本人11年ぶりの1m90台が目前に【日本選手権プレビュー】
しかしシーズン終了後に髙橋は1人立ちし、大学の環境で強化に取り組み始めた。「私が醍醐先生に寄りかかり過ぎていた」という自覚があった。指導者に頼り切っている選手は、海外など慣れない環境に行ったときに力を発揮できないし、自身の成長も頭打ちになるケースが多い。 大学2年時の髙橋は自己記録を更新できなかったが、1m75~78を安定して跳んでいた。新しいスタイルが失敗したわけではなかった。3年時はコロナ禍で試合が少なかったことに加え、足首の大きなケガもあってシーズンベストは1m74と低迷した。 そして迎えた4年時の日本選手権で「一番悔しい思いをした」という。「ケガも治して絶好調だったのに、思った力が出せませんでした。(最終学年の)4年生なのに記録も良くないし、順位も4位で“このまま終わりたくない”と強く思った大会です。何かを変えないといけない、と考えました」 大学4年のシーズン途中から、髙橋は醍醐奈緒美コーチの指導を受け始めた。醍醐直幸先生の夫人で、現役時代は三段跳で日本トップレベルの選手だった。東京高のスタッフとしても、多くの高校生を全国レベルに導いた女性指導者だ。 ■髙橋の記録が安定しているのは「内容重視」の結果 走高跳の前日本記録保持者の醍醐直幸先生でなく、醍醐奈緒美コーチに指導を依頼した理由は何だったのか。「高校の頃に飛田先生(醍醐奈緒美コーチの旧姓)が、女子選手の体について細かく話をしてくれました。バランスのことや、ここの筋力が弱くなりがちだ、ということなどです。飛田先生に一から見てもらいたい、と日本選手権が終わってすぐに思いました」 大学4年時も自己記録は更新できなかったが、9月の日本インカレに、自己記録に1cmと迫る1m79で優勝した。社会人1年目の22年は1m81、1m83、1m84と自己記録を更新。1m80台は室内も含め6試合と、学生時代より明らかに一段上のレベルで安定していた。 社会人2年目の昨年は3月に沖縄で1m85の自己新を跳ぶと、日本選手権は1m84で2連勝。7月のアジア選手権は1m83で4位に食い込んだ。9月の全日本実業団陸上こそ津田シェリアイ(27、築地銀だこ)に敗れたが、10月には1m85と自己タイを跳んだ。出場した9試合全てで1m80以上をマークしてみせた。