「アメリカが大量生産した戦車」がイスラエル建国を支えた スクラップから再生されたM4シャーマン(兵器の歴史)
■イスラエル地上軍が愛したM4シャーマン 建国前夜のイスラエルは、まだろくに小火器も揃えておらず、まして戦車や火砲などがあろうはずもなかった。だがパレスチナから引き揚げるイギリス軍からM4シャーマンやクロムウェル巡航戦車数両を盗み出し、極初期の機甲装備とした。 当時、イスラエル建国のために世界中から集まってきたユダヤ人の中には、第二次大戦中にM4シャーマンを扱った者も多く、しかも世界の中古兵器市場には、同大戦で使われて余剰となった同車が溢れていた。そこで、まだ国際的認知も得られておらず国力にも乏しかったイスラエルは、これらの中古M4シャーマンをスクラップの名目などで買い漁った。 初期には、砲身に穴を開けて兵器として使用できないようにされたM4シャーマンの75mm砲に金属の栓をして、その上からさらに金属のタガを嵌めて再生したり、ドイツのクルップ社製75mm砲に換装するなどの涙ぐましい努力により、これら中古の同車を戦力化した。 このような「中古の再生」という過程において、第二次大戦中にアメリカで大量生産されたM4シャーマンが具備するパーツ類の互換性は大いに役に立った。それに加えて「スクラップを生き返らせる作業」は、新生国家イスラエルの戦車技術者たちにとり、戦車の開発と生産に通じる技術の習得にもきわめて有用であった。 かくして、イスラエル地上軍が本格的に装備したM4シャーマンは、最初のうちは第二次大戦時と同様に75mm砲搭載型、105mm砲搭載型、76mm砲搭載型の3種類だった。同軍では、搭載されている砲の型番を末尾に付け、前者を75mm戦車砲M3にちなんでシャーマンM3、中者を105mm戦車用榴弾砲M4にちなんでシャーマンM4、後者を76mm戦車砲M1にちなんでシャーマンM1と称した。特に、敵対する当時のアラブ側の主力戦車であるT34/85中戦車に対して優位に戦えるシャーマンM1は、他のシャーマンと区別するためスーパーシャーマンとも呼ばれた。 なお、これらイスラエル初期の各シャーマンは垂直懸架装置(VVSS)を備え、元のM4の型式ごとに異なっていたエンジンが、コンチネンタル社製のガソリンエンジンに統一されていた。 しかし、いずれスーパーシャーマンM1が威力不足となることは明白だった。 そこでイスラエルは、スーパーシャーマンM1の戦力化にやや遅れて、ドイツのパンター中戦車に搭載されていたKwK42長砲身75mm砲をフランスが改設計したCN-75-50を、前後に延長した75mm砲搭載型M4シャーマンの砲塔に搭載するM50スーパーシャーマンを開発し戦力化した。同車は、パンターよりもやや強力な火力を、信頼性の高いM4シャーマンの車体に搭載したという点で優れた戦車に仕上がった。とはいえ、それは第二次大戦型戦車としては、という意味で、やはり戦後生まれの戦車には劣る面も少なくなかった。 さて、1960年代に入ってアラブ側に強力なスターリン重戦車や戦後型戦車のT55が供給されると、M50スーパーシャーマンの威力不足が懸念されるようになった。そこで、やはりフランス製の105mm戦車砲CN-105-F1の砲身を短縮して、76mm砲搭載型M4シャーマンの砲塔を前後に延長した砲塔に搭載する、M51スーパーシャーマンが開発された。1962年に誕生した同車は、水平懸架装置(HVSS)とカミンズ社製のディーゼルエンジンを備えており、逐次改修を重ねて1980年代中頃までイスラエル地上軍が運用。同軍戦車兵の練度の高さとも相まって、スターリンはもとより戦後型戦車のT54/55、T62などを相手に互角以上の戦いぶりを見せ、その後は一部がチリに売却された。 というわけで、イスラエルが改造したM1、M50、M51のいずれのM4シャーマンもスーパーシャーマンの愛称で呼ばれる。特にM50とM51は同時に運用された時期があったため、区別を明確にするべくマスコミの一部が後者をアイシャーマンと呼んだ。そしてこれに基づき、M1をシャーマンM1、M50をスーパーシャーマン、M51をアイシャーマンと呼び分ける資料もある。 たしかに、正確にはM1、M50、M51の全てがスーパーシャーマンなのだが、誤認を防ぎ分かりやすいという点を重視して、筆者としては呼び分けたほうがよいと考えている。
白石 光