「金比羅山の山道から裸同然でアリの行列のように山越えする人たち…」被団協・和田征子さん(81)に内田也哉子が聞いた“戦争”
2024年のノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)。被団協の活動や、核戦争への警鐘について、被団協事務局次長である和田征子さんに、内田也哉子さんがお話をうかがいました。『 週刊文春WOMAN2025創刊6周年記念号 』からインタビューの一部を編集の上、紹介します。 【画像】12月10日、ノルウェー・オスロでのノーベル平和賞授賞式を前に記念撮影する被団協の代表団(前列右端に和田さん) ◆◆◆ 内田 日本被団協様のノーベル平和賞受賞、本当に、本当におめでとうございます。 和田 ありがとうございます。今回『 週刊文春WOMAN 』でお話しさせていただくことになったので、「戦争入門─戦争に慣れないために」をテーマにした2022夏号を拝読しました。1冊まるごと戦争と真摯に向き合っていることに感動いたしました。と同時に、今日は通り一遍のインタビューではないのだろうなと(笑)、覚悟してまいりました。 内田 はい、根掘り葉掘り伺います(笑)。といいますのも、まことに僭越ながら和田さんとはつながりのようなものを感じていまして、まず、母が生きていれば和田さんと同い年なんですよ。 和田 そうですか、樹木希林さんも1943年生まれなんですね。 内田 父はロックンローラーだったんですが……。 和田 内田裕也さん、もちろんよく存じています。 内田 世間をお騒がせしていましたから(笑)。でも真剣に音楽を通して「NO NUKES(核兵器は要らない)」を伝えようとした人でした。そんな父のルーツは、父の祖父、つまり私の曾祖父が和田さんと同じ長崎の出身なんです。 そして夫(本木雅弘)は1月公開のアイスランドの映画『TOUCH/タッチ』で、広島で胎内被爆したヒロインの父親を演じています。自らも被爆した人の役ですから原爆についていろいろ勉強したようで、被団協が編んだ『被爆者からあなたに』(岩波ブックレット)を私が取り寄せたとき、彼は既に購入して読了していました。
放射能汚染の空き地で遊び回った
和田 私の原爆とのかかわりが始まったのは1945年8月9日午前11時2分、母によれば大変暑い日だったそうです。母は昼食の準備をしていた。私は家の前でひとりで遊んでいて、「お外は暑いから家に入りなさい」と声をかけられて家に入った。 その後どれぐらい時間が経ったかわかりません。突然ドーンと音が響くと、一瞬のうちに窓ガラスも襖も粉々に砕け、畳には破片が1尺(約30・3センチ)くらい積もっていた。家の外にはお向かいの家も見えないくらいオレンジ色の煙が立ちこめていた。