「金比羅山の山道から裸同然でアリの行列のように山越えする人たち…」被団協・和田征子さん(81)に内田也哉子が聞いた“戦争”
和田 そうなんです。もっとインパクトのある話をしたいといつも思っていたんですが、昔長崎で母とテレビを見ていたとき、インタビューに応える人の話を聞きながら「あの人があそこにおってから、あんげん経験したはずはなか」と言うんです。 ですから私は、自分が母から聞いたことしか話さないと心に決めたんです。その後、転居に伴って横浜の被爆者の会に移り、ただ役員の方たちが高齢になったというだけの理由で私が役員になり、さらに被団協の役員になることを打診されました。できるわけありませんよと固辞したのですが、なんだかやることになってしまいました。 インパクトのない話であっても話し続けていかなくてはいけないと思ったのは、2016年にジュネーブの国連欧州本部で核軍縮の会議を傍聴した際にサーロー節子さんにお会いしたからです。 内田 広島で被爆され、結婚後にカナダのトロントに移住されてからも平和運動を続け、2017年にICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞した際に受賞スピーチをした方ですね。 和田 「あなたはお母さんからちゃんと聞いて誰よりも知っている。だから話していいのよ」と言ってくださった。それで2017年のバチカン法王庁主催のシンポジウムでスピーチすることになってしまい……。 内田 被爆者が英語でスピーチするのは初めてだったそうですね。 和田 はい。スピーチは10分と言われていたのに、壇上でいきなり8分にしてくれと言われて結局、15分話し続けました(笑)。8分を過ぎるとピンポンピンポンと何回も鳴っていましたけど、もう止まりません。聴いていただきたいと必死でしたから。「核兵器を作ったのは人間です。そうであれば無くすことをできるのも人間です」と。 ●日本被団協が二本柱として掲げる「核兵器廃絶」と国家補償の「被害者援護法の制定」について、核兵器が負の遺産であることを理解してもらうための地道な活動など、インタビュー全文は『 週刊文春WOMAN2025創刊6周年記念号 』でお読みいただけます。 ※オンライン署名「NO MORE HIBAKUSHA #日本政府に核兵器禁止条約の批准を求めます」は こちらから できます。 わだまさこ/1943年長崎県生まれ。1歳10カ月のときに長崎市内で被爆。41歳から地域の原爆被害者の会の活動に関わるようになり、2015年より日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)事務局次長を務める。 うちだややこ/1976年東京都生まれ。エッセイ、翻訳、作詞、ナレーションなどで活動。著書に『BLANK PAGE 空っぽを満たす旅』(文藝春秋)など。2024年6月に戦没画学生慰霊美術館無言館共同館主に就任。 文:小峰敦子 写真:橋本篤
内田 也哉子/週刊文春WOMAN 2025創刊6周年記念号