「水俣病は終わっていない」『マイクオフ問題』で発言を遮られた男性の思い 公式確認から68年も解決の道筋立たず「被害者の声に耳を傾けない国や熊本県の姿勢に問題」
水俣病の被害者団体との懇談の場で起きた環境省による『マイクオフ問題』。発言をさえぎられた男性が伝えたかった思い。そして、公式確認から68年が経過しても、なお解決の道筋すら立っていない水俣病問題を考える。 【画像】『マイクオフ問題』で電源を切られた松﨑さん
環境省が起こした『マイクオフ問題』
日本の公害病の原点といわれる水俣病。チッソ水俣工場の廃水に含まれていたメチル水銀が原因で68年前の1956年5月1日に公式に確認された。 例年、5月1日には水俣の海を望む『慰霊の碑』の前で、環境大臣なども参列して犠牲者の慰霊式が営まれ、その後、大臣と被害者団体などとの懇談も行われている。2024年はこの懇談の席に改めて注目が集まった。 大臣に直接、要望できる数少ない機会。出席した8つの団体は高齢化で症状が悪化する患者への支援や未認定患者の救済などを求めた。 しかし、懇談を取り仕切っていた環境省は、各団体の要望が3分を超えるとマイクの電源をオフにした。その後もこうしたやりとりが繰り返された。 そして、マイクは水俣病患者連合の松﨑重光さんのもとに。松﨑さんは「私の妻は去年の4月に『痛いよ、痛いよ』と言いながら死んでいきました」と、水俣病と認められず苦しみながら亡くなった妻・悦子さんの無念さを必死で伝えた。 しかし、環境省の職員は「申し訳ございません。話をまとめてください」と、松﨑さんの発言を遮り、この直後、マイクがオフになったが、それでも松﨑さんは伝え続けた。 松﨑さんは「なんで棄却ばっかりするのか、なんで被害者を救おうとする考え方を持たないのか」と話し、再びマイクを受け取った松﨑さんは、最後に「苦しんで、苦しんで死んでいった人の気持ちもくんでいただけないか」と話を締めくくった。
松﨑さんが伝えたかった妻の思い
どんな思いでこの場に臨んだのか。12月に改めて松﨑さんのもとを訪ねた。 松﨑さんは「妻がつらかったと思う。妻が言った言葉が『自分は水俣病ばい、お父さん』って、『お願い、お願い(それを伝えて)』と言って死んでいった。その言葉を伝えたいと思った。どこまで伝わったのか分からないけど、その言葉を預かった以上は、それを皆さんの前で伝えたかった」と述べた。 芦北町在住の松﨑さんは約50年前に網元の娘だった悦子さんと結婚。2人で漁をしながら生計を立ててきた。水俣病特有の症状があり、夫婦で複数回、認定申請したが、全て棄却され、1995年の政府解決策で「未認定患者」として救済を受けた。 しかし、悦子さんは「認定患者と症状は変わらないのに」と嘆いていたという。松﨑さんは「私は『我慢しろ、我慢しろ』と妻に言ってきたけど、『いつまで我慢すればいいんだ』と言って死んだので、そう言われると、私は返すが言葉なかった。今思えば漁師、魚とりをしなきゃよかったと…」と振り返る。 松﨑重光さんは「水俣病は終わった、終わったというけど終わっていない」と話す。
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