【89歳の美容家・小林照子さんの人生、そして贈る言葉⑩】56歳で起業。お金をいただくのにふさわしいプロになれ!
89歳にして美容研究家であり、ふたつの会社の経営者として現役で活躍する小林照子さんの人生を巡る「言葉」の連載「89歳の美容家・小林照子さんの人生、そして贈る言葉」。今回、お話しいただいたのは、「天命」についてだ。 1985年にコーセー初の女性取締役に就任した小林照子さん。1991年に退社して起業する。外見の美と心の輝きをテーマにしたメイクアップアーティストを育成するスクールをはじめ、75歳で美容に特化して高等学校卒業資格も取れる総合美容学校を、84歳で女性リーダーを育成する私塾を設立。そのバイタリティを支える思いとは?
10代の頃の夢が50歳でついにかなった!
「1983年に化粧品会社のコーセーで社内ベンチャーという形で、プロを育成する『ザ・ベストメイキャップ・スクール』を開設しました。その2年後の1985年、スクールの場所を八丁堀から渋谷に移転してすぐにうれしい出来事がありました。 運とご縁に恵まれて、東京・青山劇場のこけら落とし公演の大舞台に登場する、70人を超えるキャラクターのヘアメイクを担当することになったのです。これには私をはじめ、スクールのスタッフや学生たち総出で当たりました。 私は10代のときに演劇にのめり込み、舞台のメイクの仕事をしたいという夢があり、ずっと抱き続けてきました。まさにその夢がかなったのです。1985年、私が50歳のときです」 ※10代の頃の話は第5回<他人の人生をうらやみ、嫉妬する顔は本当に醜い>参照。 そしてその年に社内初の女性取締役に就任。6年後の1991年、56歳のときにコーセーを円満退社した。 「退社した年に『美・ファイン研究所』を設立。『美しい顔・からだ』と『輝く心』を社名に表現し、私が生み出した「ハッピーメイク」のテクニックを美容ビジネスや教育など、さまざまな場面を通じて提供する会社を発足したのです。
その後の1994年に、プロを育成する『フロムハンド小林照子メイクアップアカデミー(現フロムハンド メイクアップアカデミー)』を設立。これは私を理解してくれる同志と共同で起こした会社です。 『フロムハンド』では、メイクアップやエステティックの理論と技術だけでなく、美容業界のマーケティング、ネイルアートやセラピーの技術研究などの授業も盛り込みました。写真はその授業風景です。 一般的な美容学校を卒業すると美容室に就職するのが通例でしたが、『フロムハンド』の卒業生の就職先は、化粧品メーカー、広告、マスコミ、ファッション、ブライダル業界とジャンルは実にさまざまで、仕事の舞台は日本にとどまらず世界に広がっています。 私が舞台メイクをする人になりたくて上京した当時は、メイクを勉強する場所がありませんでした。30代からは、美容やメイクのことを総合的に勉強できる学校を作りたいとずっと思っていました。コーセー社内で設立した『ザ・ベストメイキャップ・スクール』に続いて、『フロムハンド』でも、この夢もかなえたことになります。 “夢は諦めなければ、必ずかないます”。夢を口に出して、努力を続けることが重要です」