人類にインターネットは早すぎた? 竹田ダニエルとSKY-HIが語り合う、議論の重要性。
「カルチャー×アイデンティティ×社会」をテーマに様々なメディアで執筆、BMSG所属アーティストの活動にも携わる竹田ダニエルさん。 BMSGを立ち上げ、数々のアーティストを世に送り出し、既存の音楽業界に新しいカルチャーを作り出し続けているSKY-HI(日高光啓 ※高=はしごだか)さんとの対談が実現! 日本では敬遠されがちな「議論」することの楽しさについてのお二人の考えを、竹田ダニエルさんの最新刊『SNS時代のカルチャー革命』に収録されている対談より、一部抜粋してお届けします。(読みやすさのため、改行などを編集しています。)
インターネットとの関りをもっとゆっくり考えたい
竹田:『群像』の連載では、アメリカの若者の間で起きている様々な現象やトレンドの多くは、彼らの絶望から来ているという話をずっとしています。日本は東日本大震災やコロナ禍を経験していますが、アメリカの場合、私たちの世代はコロナ禍の中で大人が助けてくれなかったことや、9・11以降の社会不安や学校での銃撃事件もあって、「大人は信用できない」っていう感覚がベースにある。その中で、「現状を変えなきゃいけない」というのが、例えばBlack Lives Matterといった形のムーブメントとしてどんどん表れている。でも、結局何も変わらない、どうしたらいいんだろうっていう焦燥感のフェーズに来ていると思う。 本書(『SNS時代のカルチャー革命』)でも触れていますが、「Fast Car」というトレイシー・チャップマンの曲が最近再び流行って、グラミー賞でもパフォーマンスがあったり大きな話題になりました。現代の人が、30年以上前の苦しい生活を歌った曲に思いを寄せているんですね。ビヨンセの最新アルバムもカントリー音楽がテーマではあるんだけど、アメリカ国旗を掲げたジャケ写や楽曲の内容が表すのはナショナリズムなのか、アメリカへの批判なのかという議論が巻き起こっている。 やはり日本ではまだそのような「アーティストや曲の社会的文脈や背景」を議論するのはなかなか難しい。だからこそ、様々なカルチャーがインターネット上で議論されているということを提示するだけでも価値があると思っています。 私は今アメリカの大学院でAI倫理教育の研究をやっているんだけど、インターネットは人間の歴史から見たら米粒みたいなものなのに、私たちの人生はこんなにもインターネットに左右されている。そしてそのプラットフォームはどんどん変わっているのに、私たちの使い方が追いついていないことを実感する。そこからくるカルチャーとの歪な結びつきに、私はすごく興味があるんですよね。 SKY-HI:人類にはインターネットはまだ早すぎたんじゃないかっていうやつだよね。 竹田:でもSNSがあったことによって、例えばBE:FIRSTみたいな子たちの様子がコンテンツを通してリアルに伝わるから、彼らの人間性や個性の輝きが直接届けられるという側面もあると思うし、これまで届き得なかった人たちにも、メインストリーム以外のものが「需要のある場所」にちゃんと届くことからくる希望ももちろんあると思います。 SKY-HI:BMSGのカルチャーはK-POPのある種のカウンターにもなったことも特徴的だね。それこそ韓国のエンターテインメント企業のHYBEは、システムっていう言葉をよく使う。アーティストの育成やオーディションに全部ルールがあって、そのルールにのっとった形で全てが進んでいくK-POPというシステム。でも自分たちは良くも悪くもシステムの逆の思想でしかないから、SNSに対しても人間的成長や健康の観点から懐疑的です。 竹田:インターネット自体が変わって、例えばXだけ見ても仕様が変わって、悪意的なコメントも目に入りやすくなっちゃったよね。しかも「いいね」が見られなくなったから、悪意と傷つける意図を持った投稿みたいなものを「いいね」しやすくなってしまっているように思います。 SKY-HI:そうなんだよね。Xとかは、世の中を悪い方向に持ってこうとしているのかなって思ってしまうよね。 竹田:今、私たちは人間としてこの資本主義社会で適応するためにすごく忙しいし、いつも振り回されている。変わりゆく社会に順応するために、「今の時代を勝ち抜くChatGPT術」みたいな「攻略本」が売れてしまう。本当はもうちょっとゆっくり考えた方がいいんじゃないかな、というのが今回の本の締めくくりでもあります。 SKY-HI:素晴らしい。