異国の地で一文無しにーー家族を捨てフィリピンで生きる男の「なれのはて」#ザ・ノンフィクション #ydocs
フィリピンで生きていく
当時、平山さんは英語もタガログ語も話せなかった。寝る場所も、食べる場所もない。 途方に暮れる平山さんに手を差し伸べてくれたのは、貧困地区で暮らすフィリピンの人々だった。路地裏の住人は平山さんに食べ物を分け与え、寝床を貸してくれたという。 フィリピンには、相互扶助の慣習が色濃くある。特に貧しい人々の間には、お金持ちからはむしり取ろうとするが、自分よりも貧しい人には分け与えようとする、ある種の連帯意識のようなものがあるように見えた。 平山さんはしばらくのあいだ、何軒かの家を渡り歩き居候をさせてもらう暮らしを続けた。やがて、地元で紹介されたのが、乗合バスの呼び込みの仕事だった。 フィリピンには、ジープを改造した乗合バスがあり、庶民の足となっている。そのターミナルで、行き交うバスへ客を誘導し、運転手からチップをもらうのが呼び込みの仕事だ。 フィリピンでも最も稼ぎの少ない仕事の一つ。しかも非合法なので、警察に取り締まられ、留置場に入ったこともある。 また呼び込み同士の縄張り争いもあり、不慣れな平山さんは他の呼び込みとトラブルになることも少なくなく、時には殴られることもあった。 地を這うような日々が続く中、平山さんに転機が訪れる。 乗合バスを使って工場に通っていたテスさんと恋に落ちたのだ。平山さんは、テスさんに毎朝パンを渡して口説いた。テスさんは、その優しさに惹かれたそうだ。 ほどなく2人の間にはマリコが生まれ、テスさんの前夫との子・プリンセスや親戚ら7人が、一つ屋根の下で暮らし始めた。 「日本とフィリピンで全く違う人生を生きている」と話す平山さんだが、日本に残した家族や親類は、平山さんがフィリピンにいることも、新しい家庭を築いたことも知らなかった。
貧しくも、幸せな日々
フィリピンでも家族を養うのは楽ではなかった。 電気料金を払えないことも多く、自宅はたびたび停電。新しい仕事を始めようと、テスさんと屋台での揚げ物販売に乗り出すが、屋台ごと盗まれてしまう事件もあった。 テスさんのバスマット作りの内職だけが収入源だったこともある。 けれど、平山さんに悲壮感はない。天性のタフさゆえ、とも言えるが、暮らしそのものに安らぎがあるようにも見えた。 家の前に立つ大きく枝を広げたマンゴーの樹。 実をつけると、長身の平山さんがカゴをつけた竿を伸ばしてもぎ取って家族で食べる。冷たくないビールを夜風に当てて冷やし、テスさんとゆったりとした時間を過ごす。 子どもたちも朗らかで、プリンセスは笑顔で料理や家事をこなし、幼いマリコは平山さんに抱きついて甘えた。 「お金はないけど、家族で仲良くやってますからね」 日本でせわしない日常を送っていたディレクターは、日本の家族を顧みず好き勝手に生きる平山さんの姿に戸惑いながらも、どこか羨ましく感じることもあった。