斎藤前知事の失職に学ぶ「令和のリーダー」が守るべき“たった一つ”のこと
パワハラ疑惑、おねだり疑惑に端を発し、いよいよ失職、出直し選挙となった斎藤元彦前兵庫県知事は、ある意味で今年最も注目を集めた組織リーダーかもしれません。 【実際の投稿:斎藤前知事、県民へ謝罪】 トップやリーダーといわれる人たちはいかにあるべきなのか、時代の変遷と共に変わりつつあるその「あるべき」について、斎藤前知事の件を引き合いに考えてみましょう。
◆“昭和のリーダー”に強く求められていたもの
疑惑の真偽のほどは定かではないものの、斎藤前知事のパワハラ、半強制的なおねだり問題に関しては兵庫県議会の百条委員会において具体的な言動が複数提示されており、度合いはともかくとして、相手にそう感じさせるような行為があったことは間違いないのではと思われます。 指摘されたパワハラ、おねだり共に、昭和の時代なら黙認され通り過ぎていたであろうことですが、令和の今にあってはモラル意識の領域でコンプライアンスに抵触する可能性ありとして、リーダーの資質が疑われ失職に至ったわけなのです。 斎藤前知事は1977年生まれの46歳です。いわゆるポスト団塊ジュニアに属する人で、親はどっぷり昭和世代。昭和の教師からの教育を受けて育ち、社会人としても昭和の上司に仕えた世代です。 バブル経済崩壊後の日本経済が沈んでいた2000年前後に社会に出た世代なのですが、それはちょうどグローバル・スタンダード、コンプライアンスといった言葉がささやかれ始めた時期でもあります。 しかしながら彼が属していた官僚の世界は、前例踏襲を旨とする旧態依然とした昭和な組織文化が主流を占めていたと考えられ、今回の行動の根源は前知事が社会人として過ごした環境が、大きく影響しているのではないかと思われます。 前知事の先人として同時代を過ごした筆者の記憶をたどれば、昭和のリーダーはとにもかくにも強いリーダーシップこそが必要かつ絶対的な要件であるように思われ、多少の暴走や高圧的な物言いも組織統率のためには許されるという風潮があったと思います。 「トップは“天皇”」「上司の命令は絶対」という組織運営も、決して珍しくありませんでした。 百条委員会が実施した県職員約9700人に対するアンケートに書かれていた、「俺は知事だぞ」「知事の言うことが聞けないのか」といった前知事の発言が本当にあったとすれば、前知事の言動は時代錯誤ともいえる“昭和のリーダー像そのもの”であったということになるでしょう。