東京「火葬場高騰」の本当の原因は、明治時代の「怪人実業家」の商魂だった! ~小林一三になり損ねた男の野望
いま東京近郊では斎場(火葬場)の料金が急激に値上がりしており、その背景には運営会社の寡占状況があることが報じられている。実はその運営会社は、明治日本が生んだ「怪人」が作り上げたことをご存知だろうか。 【写真】忘れられた明治の怪人実業家の足跡 明治時代の日本には、いまでは考えられないような破天荒な実業家たちがいた。彼らの中には、阪急電鉄の創業者・小林一三のように日本の近代化を推し進める大事業を手掛けた者もあれば、打算と欲望をむき出しにビジネスを展開する怪しい人物もいたのだ。 『電鉄は聖地をめざす』(講談社選書メチエ)から、その人物の「伝説」を紹介しよう。
羽田空港近くの小さな神社と「謎の男」
大田区羽田にある穴守稲荷といえば、かつて羽田空港ターミナルビルの駐車場に鳥居だけが建っており、これを動かそうとすると祟りを受けるなどとよく語られていたことをご存じの方も多いだろう。 第二次世界大戦後、米軍は羽田空港を拡張するため、穴守稲荷とその周辺の家屋を強制的に撤去した。その際、作業員がけがをしたりブルドーザーが横転したりと、不思議な事故が相次いだという。 そんな東京の片隅にある小さな神社であった穴守稲荷が、明治20年代半ばになると急激なスピードで拡大を遂げ、明治30年代半ばには東京、横浜だけで講社数150、講員10万人以上を数えるようになった(「講」とは、同じ信仰をもつ人々が集まってつくる結社のこと。江戸時代から、伊勢参りや富士登山を講組織が担っていた)。 それまでローカルな神社であったのに、10万人規模の講を組織化し東京中から大量の参詣者を集められたとは、にわかには信じがたいことである。 実は、その急成長の陰には、穴守を宣伝する内容の歌舞伎を浅草などの繁華街で上演するという「大仕掛け」があった。なぜ、小神社がそれほど大掛かりなプロモーションをなし得たのだろうか。 その謎は、一人の人物の存在に行き当たることで解き明かされた。東京における穴守講の中心的存在「東京元講」の元締めとなった木村荘平である。