パラテコンドー&身体障害者野球 市川青空(そら)進化の軌跡「目の前が真っ暗になった身でも這い上がれる」大事故から世界で戦うファイターへ
「とにかく驚きでした」野球との再会
そして、市川を語る上で外せない競技がもうひとつある。それは原点とも言える野球である。 再び縁が繋がったのはパラテコンドー挑戦とほぼ時を同じくしたタイミングだった。 「パラ陸上短距離の大会に出た時期があって、そこで佐藤猛さんという義足の選手と出会いました。その時地元に身体障害者野球チームがあるという話をいただきました。そこからチームに体験へ行ったのですが、とにかく驚きでした」 その驚きとは、まず野球ができる環境が近くにあったことだった。そして身体障害者野球ならではの技術に魅了されていった。 「グラブから離してその間にボールに持ち替えるというのを間近で見て鳥肌がすごく立ちました。キャプテンの渡辺一也さんが軽快に投げている姿を見て、僕もできるようになりたいと思いました」 テコンドーとして真剣勝負に向けた体づくりに励みながら、野球での復帰も並行して目指した。 「双子の弟がノックを打ってくれたりキャッチャー役も務めてくれました。打つ方では元々左投げ右打ちだったのですが、打球がゴロしか飛ばなかったので打つのも左にしました。あと持ち替えて投げるのも半年ほどかけてマスターしました」
世界一メンバーを擁する強豪相手に好投
その猛練習はすぐに結果へと表れた。出場を始めた大会で早くも躍動した。 「去年の全国大会でライトオーバーのランニングホームランを打ったんです。地区大会でも名古屋ビクトリーを3回1失点に抑えられたんです。その後の試合では打たれてしまったんですけどね(苦笑)」 名古屋は昨年日本が世界一に輝いた「第5回世界身体障害者野球大会」の代表に5人を輩出した全国屈指の強豪チーム。ここでも世界で戦える片鱗を見せた。 今年もテコンドーでの国際大会の合間を縫いながら、神戸での全国大会をはじめ地区大会などに駆けつけている。6月には神戸で行われた「全国身体障害者野球大会」に参加し、2番を打つとともに投手・外野手とフル回転した。