極貧生活を送る高齢者を見て「明日は我が身」と震撼…日本人の「老後不安」を急激に高めた「ある番組」
金(カネ)と健康ーーそれは高齢者にとって老後生活の質を左右する、もっとも重要な二大ファクター。とりわけ2010年代から急速に高まった老後資金への不安を高めたのは、NHKのある番組がきっかけでした。 【エッセイスト・酒井順子さんが、昭和史に残る名作から近年のベストセラーまで、あらゆる老い本を分析し、日本の高齢化社会や老いの精神史を鮮やかに解き明かしていく注目の新刊『老いを読む 老いを書く』(講談社現代新書)。本記事は同書より抜粋・編集したものです。】
いくら必要かわからない「老後資金」
時代および制度が変化するに応じて、高齢者が求める本もまた、変化している。書店の老い棚は、高齢者の不安と欲望を映す鏡と言うことができるのだが、そんな中でも老い棚における二大勢力は、時代がどう変わろうと「金」と「健康」に関する書籍群であることに変わりはない。高齢者が何より欲しているのは、言わずもがなではあるが、金と健康である。 金と健康は、高齢者にとって車の両輪のような存在でもある。いくら金があっても健康でなければ、楽しく生きることができない。そして健康であっても、ある程度の金がないと、安心して生きることができないのだ。 金と健康は、「いくら持っていても不安は尽きない」という部分でも共通している。健康を維持して長生きすれば、それだけ金もかかるわけで、だからこそ人は、医療費も迷惑もかけずに死ぬ「ぴんぴんころり」の成就を祈る。 中でも金は、「老後の不安」を形成する、最も大きな要因である。何歳まで生きるかわからないからこそ、老後の資金がいくら必要かもわからない。日本の高齢者は多額の貯蓄を持っているのに消費に回さないと言われるが、それは日本人が、長寿の可能性と、強い迷惑恐怖を両方抱くが故の現象ではないか。
高まる不安と乱高下する必要な金額
女性の欲望を常にウォッチしている雑誌「婦人公論」を見ると、金に関する老後の不安を語る時の定番フレーズである「○○歳までに○○円が必要」という言い方が目次に初めて登場したのは、2008年(平成20)のことだった。「40代から差がつく老後のかたち」という特集の中で、「専門家が試算しました」として、 「必要なのは、65歳で1200万円!」 となっているのだ。特集タイトルを見てもわかるように、この頃の「婦人公論」はまだ、読者を40代に設定していたのだが、既に40代にまで、老後資金への不安が忍び寄っていたことがわかる。 2009年(平成21)の「40代から備えるひとりの老後」という特集では、 「88歳まで生きるのに必要なのは4800万円!」 と、その金額は跳ね上がっている。 2010年(平成22)にもなると、「なぜ、これほど老後が不安なのか」という深刻な特集が組まれるように。そこでは、 「ゆとりある老後のためには3000万円が必要です」 ということになっていた。 2000年代から日本人の中に育ち始めた老後の不安は、この頃から急速に強まった模様で、同年後半にはさらに、「もうお金に振り回されない、新しい老後計画」という特集が。ここでは、 「65歳で最低限必要なのは1500万円です」 ということで、老後に必要な資金の目安は乱高下している。金額ははっきりしないにせよ、具体的金額を示すことが、読者には刺激になったのだろう。 2010年頃からは、お金のみならず、健康、介護といった話題も含め、老いの特集がどんどん目立つようになっていった「婦人公論」。2013年(平成25)になると、 「老後が不安という『病』、治せます」 という特集が組まれたのであり、老後に対して不安になりすぎなのではないか、という自覚すら芽生えているのだった。 男性に目を転じてみよう。「週刊現代」といえば、高齢男性向けメディアという印象が強いが、かつてはサラリーマン向けの雑誌だった。そんな「週刊現代」に高齢者向けの話題が目立つようになってきたのは、やはり2010年頃からである。前年までは「老」の文字がほとんど誌面に見えなかったのが、2010年になると、老いてからのセックス、介護、死といった話題が増えてくる。 もちろん老後の金についても、記される。 「60歳からの金儲け 私はこうして資産を殖やした」 という特集があるかと思えば、少し後に、 「老後の貯え『投資で大失敗』 そして家族に見捨てられた」 という特集も。 この頃の「週刊現代」には、「○○歳までに○○円が必要」といった具体的な数字は登場しない。「週刊現代」の場合は、老後になっても投資などで儲けることができるのではないかという淡い希望と、いやでも失敗して老後資金を失ったら大変だ、という不安との間で、右往左往しているのだ。