なぜ日本に「天皇」という文化が生まれ育ったのか
5月1日、新天皇陛下が即位され、「令和」の時代が幕を開けました。即位に関する数々の厳かな儀式を目にして、改めて日本における天皇の存在の大きさに思いを巡らせた人も多いのではないでしょうか? 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、「日本の天皇制は他国の王制とは異なる性質をもっている」と指摘します。なぜ、日本には世界に稀な「天皇」という文化が存在しているのでしょうか。若山氏が独自の「文化力学」的な視点から論じます。
平成から令和への感慨
平成から令和へと替わるに当たって、上皇、上皇后の、世界の平和を祈り国民の哀しみに寄り添う姿勢が印象に残った。 戦後、急進的に民主主義を求める革新陣営に対して、天皇制は保守的な思想の上に存続したが、現在では、保守陣営がパワー・ポリティクスに傾斜する中で、あくまで平和を祈る天皇の姿勢は、むしろ革新に近い印象を与える。ジョセフ・ナイの唱える「ソフトパワー」というべきか。現在の天皇は政治とは切り離された象徴ではあるが、逆にそのことによって不思議な政治力をもちつつあるように思える。 この「天皇」という、世界にも稀な文化が、なぜこの国の風土に生まれ育ったのであろうか。
天皇文化――保留民主制
かつて三島由紀夫が『文化防衛論』という本を書いて、興味深く読んだのだが、三島にとって、日本文化とはそのまま天皇のことであった。もちろん僕は、科学的な思考を基本とする理系の人間として、文化というものをより広範囲にとらえているが、天皇という象徴が日本文化の大きな部分に及んでいることは認めざるをえない。この「天皇文化」について客観的に考えることは、日本の文化論者として避けることのできないことのように思えるのだ。 世界に王制を抱える国家は少なくない。先進国では北ヨーロッパに集中し、それ以外では中東が目立つ。これをどう理解すべきか。 近代ヨーロッパでは、フランス革命、それに続くナポレオン戦争、プロイセン―ドイツの戦争(普墺戦争、普仏戦争、第一次・第二次世界大戦)、ロシア革命が、各国の社会体制を変革する大事件であったが、北ヨーロッパはこの影響をさほど受けていない。また中東では、植民地支配からの独立に際して多様なアラブ民族の首長がそれぞれ国家を形成した。古い王政に対する革命と国民投票による大統領制を完全な民主制であるとするならば、いずれもある種の「保留」をしているのだ。その意味で日本もまた王制を維持する「保留民主制」なのである。 しかし日本の天皇制は、こういった他国の王制とはまた異なる性質をもっている。