なぜ日本に「天皇」という文化が生まれ育ったのか
ユーラシアの帯――別荘の別荘
幅広く建築から、日本文化の位置づけを考える。 16世紀以後にヨーロッパ諸国が植民地につくったものと近代建築(モダニズム)は別にして、世界の高度化し複雑化した建築様式(主として宗教建築)は、ユーラシア大陸の西から東へと延びる細い帯状の地域(アフリカ大陸北岸を含む)に集中していることは前に述べた*1。これが人類の文明を育んだ「文化交流の帯」である。 この「ユーラシアの帯」には、西と東に建築様式分布における中心域が認められる。西の中心は「地中海」という海である。東の中心は「黄河と長江」という二つの大河の流域で、中国のいわゆる中原である。 「西の地中海文化」における宗教建築は石造で、その様式分布はアルファベットという音の記号としての文字体系の分布と相関が深い。メソポタミアとエジプトを淵源として、インド文化もペルシャ(イラン)文化も巻き込んで、ギリシャ、ローマ、イスラム世界、そしてヨーロッパへと、ダイナミック(動的)に発展し「大きな文化圏」を形成した。16世紀以後は西欧海洋国をつうじて植民地へと拡大し、19世紀以後は近代文明として全世界に広がり、現代のグローバリズムにつながっている。いわば文明のメインストリームだ。 「東の黄河長江文化」における宗教建築は木造で、漢字という表意文字をもつ「小さな文化圏」を形成した。動乱はあっても文化的本質はあまり変化しない、比較的スタティック(静的)なものであり、変化の激しいメインストリームから見れば、どこか別荘的な文明であった。 日本は、この「ユーラシアの帯」の東端であり、「黄河長江文化」から海を隔てて位置する。ユーラシア西端のイギリスに似ているが、イギリスはヨーロッパ大陸に近く「はなれ」のようなものだが、日本はもう少し離れた別荘のようなものだ。つまり世界の文化地理において、二重の意味で別荘的な文化なのだ。この東端の列島という位置性が、天皇という独特の文化を生んだ。