なぜ日本に「天皇」という文化が生まれ育ったのか
「家」と「やど」――美意識の象徴
視点を変えて、文学から日本文化と天皇の関係を考える。 日本文学では、住まいを表すのに「家」と「やど」という、同じ意味の二つの言葉がもちいられる。「わがやど」は旅の宿ではなく「自宅」を意味するのだ。『万葉集』において、「家」は「人の空間」、「やど」は「草花の空間」として使い分けられたのだが、『古今和歌集』以後、和歌集の中では必ず「やど」が使われるようになる*3。そして天皇は、その「和歌」という文化の主催者となるのだ。ここに、遣唐使を廃止して中国文化と対等の価値をもつ「日本文化」を定立する意識が見て取れる。つまり「天皇」は、中国の影響を受けながらも中国に対峙するという意識のもとに成立する文化象徴なのである。以後、天皇は「家」という「人の空間=俗世間」ではなく、「やど」という「草花(花鳥風月)の空間=美意識」の住人となる。 日本文化に詳しいアメリカ人と議論したとき「日本には思想の代わりに美意識がある」といわれたが、これは慧眼である。つまり天皇には、政治家でも宗教家でもなく、文化主催者としての意味があり、日本的美意識の象徴としての意味があるのだ。しかもそれは、外国の王や皇帝のもつ豪華絢爛の美ではなく、「もののあはれ」や「侘び寂び」といった言葉でも表現される、素朴で清らかな、ある種「清貧」ともいえる美意識である。この点こそ、内外を問わず人々に受け入れられやすい日本天皇制の特質であろう。
世界の哀しみに寄り添う天皇へ
美智子上皇后がつくられる歌には、この伝統文化的な美意識と、戦争も含めた災害犠牲者への哀切の念とが一体化していることを感じる。彼女は、平安王朝の歌人が追い求めた「もののあはれ」という移ろいの美意識を、被災した国民への「哀切」に重ねたのではなかろうか。つまり世界の人々の平和と安寧と幸福を祈る上皇、上皇后の姿には、この国の伝統的な美意識の力と、国を超えた哀しみに寄り添う力とが融合した普遍的な文化力があるのだ。 現時点で、日本には天皇を否定する思想も理論も存在しない。われわれは、この世界にも稀な文化象徴を、末永く、より良い方向に、守っていく覚悟が必要である。つまり天皇家とともに国民もまた努力すべきなのだ。革命と大統領制という「完全民主主義」の理念からは外れるところもあるこの制度に対して、世界に理解を求め、大切にすることに共感を得る努力が必要なのだ。近隣国の現実を考えれば、これは簡単なことではない。 戦後、マッカーサー元帥は日本を統治するために天皇を政治利用したというのがもっぱらの評価だが、僕は少し違うものも感じている。彼は、昭和天皇個人あるいはこの類いまれな象徴の制度に、ある種畏敬の念を抱いたのではないか。そこに貴族的な軍人としての美意識が働いたのではないか。「断ち切るにはあまりに惜しい」といったような…。それはルース・ベネディクト、エドウィン・ライシャワー、ドナルド・キーンといった日本文化研究者にも共通して感じられるものだ。 「アメリカ人と天皇文化」という、また別のテーマが浮かび上がるが、それはまた別の機会に書いてみたい。 *1:THE PAGE 「親密」な握手、ゴルフ、食事、会談……日米同盟の文化的な構図(2017年11月15日配信) *2:拙著『ローマと長安―古代世界帝国の都』講談社現代新書 *3:拙著『「家」と「やど」―建築からの文化論』朝日新聞社