なぜ日本に「天皇」という文化が生まれ育ったのか
王、皇帝、天皇
「天皇」という言葉と概念が登場するのは、天皇史上もっとも権力が集中した天武帝の御代とされる。文字、都市、法律、その他、中国を規範として国家制度が整えられていく時期であり、天皇文化が中国文化との関係によって成立したことは明らかだ。しかしそのままではない。 民族と文化の激しい戦いが続いた地中海文化と比べ、黄河長江文化には強力な一神教としての宗教が成立しなかった。儒教は道徳に近く、道教の源流となった老荘思想は哲学に近く、宗教ではないという人もいる。つまり比較的宗教色が薄い文化なのだ。しかし「天」という概念に対する尊崇の念は強かった。 それぞれの国を治める「王」を超えて、一つの文化圏としての中国全体を治める「皇帝」という概念ができたのは始皇帝のときだが、以後、中国の歴代皇帝は天帝(天の支配者=北極星を象徴とする神のような存在)の子として「天子」とされた。「天皇」はこの「天」を含むので、皇帝より上の感覚もあり、形而上学的(宗教的)な意味をより強く含む。 また「天皇」は英語で「エンペラー」と訳されるのだが、西洋における「エンペラー=皇帝」は、もともと古代ローマの「インペラトル」から来ており、政治の実権を握った軍事指揮官の意味が強い。ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)がその象徴的人物で、ドイツのカイザーも、ロシアのツァーリもこの「カエサル」を語源とする*2。「天皇」には明らかにそれ以上の神聖感がある。 つまり中国やヨーロッパから見れば、一人の王の領域ほどしかない日本列島が、今なお、皇帝さえ超えるほどの意味をもつ象徴を抱えているということになる。“偉そうなところのある”文化なのだ。とはいえ、王朝が交代する中国(易姓革命)やヨーロッパと比べ、「万世一系」とされるように圧倒的な歴史の長さがあることは事実である。というより「これ(天皇家)だけは変わらない」というのが日本文化の特質である。 現実の歴史においても「天皇」は、政治権力者である期間はほとんどなく、むしろ権力者に担がれる存在であった。その意味で天皇と権力者の関係は、ヨーロッパにおけるローマ法王と各国の王あるいは神聖ローマ皇帝、イスラム圏におけるカリフとスルタンの関係に似ているが、天皇は、ローマ法王やカリフのような完全な宗教者とはいえない。そこに、権力者でもなく、宗教者でもない、文化主催者としての姿が浮かび上がる。