「このままでは僕の代で終わり」 氷の卸売業からメーカーに転換して切り開いた米国市場
創業100年超のクラモト氷業(金沢市)は透き通った氷を製造販売し、売り上げの3割超が輸出です。氷の卸売業の将来に危機感を持ち、2016年にメーカーに転じました。存続危機下で入社した5代目の蔵本和彦さん(39)は、設備投資や市場調査を重ねて、米国に質の高い氷を輸出するビジネスに目を付けました。氷のブランディングやSNS発信力も高めることで、国内でもネット通販の拡大、かき氷の移動販売なども進め、売り上げは入社時の4倍になりました。2024年に社長を引き継ぎ、ニッチトップとしての事業拡大を見据えます。 【写真特集】シミ抜き洗剤も積み木もヒット EC戦略に成功した中小企業
氷の卸売業からメーカーへ
クラモト氷業は1923年に創業し、蔵本さんの祖父である3代目が純氷のみ扱う卸売業をはじめました。蔵本さんが専務だった2016年、当時社長の父顕彦さんとメーカーに転換させました。 氷は「氷缶製氷」と呼ばれる製造法で、原水をかくはんしながら、マイナス10度程度で48時間以上かけて凍らせます。空気や不純物を除き、溶けにくく透き通った氷ができあがるといいます。ブランド名は「金澤氷室」。金沢の水を使い、かつて加賀藩が氷室の氷を幕府に献上したことに由来します。 蔵本さんは「良い氷の条件は透明で溶けにくく硬いこと。お客様に合わせた形やサイズなどで付加価値を付けています」と言います。 従業員数は26人。丸氷やクラッシュアイスなど用途に合わせた氷を製造し、年間生産量は2400トンにのぼります。売り上げ構成は国内飲食店が37%、海外輸出も33%を占め、取引先は1200社で入社時の3倍になりました。 メーカーとして地位を築くまでには、数々の曲折がありました。
「目指す場所は自分たちで作る」
蔵本さんは子どものころ、父が動物園や夏祭りなど氷を配達する現場に連れて行ってもらい、「人の役に立つ楽しい仕事と思いました」。 しかし、大学を卒業するころ、会社にポストはなく、父から「今は入らない方がいい」と言われ、配電盤メーカーに就職。営業から電気回路の設定、組み立て、配達までこなします。 父から「戻ってきてくれ」と声がかかったのは、25歳だった2010年でした。存続危機の状態で「入社時はお先真っ暗」と振り返ります。 当時は卸売業のみで工場はありません。氷が売れず製造業者が減り、県内の仕入れ先も1社だけでした。「本社が観光地にあったので、タバコ屋でもやろうかなどと話していました。仕入れ先も1社となると、何かやりたくても難しい。このままでは僕の代で終わりだろうと」 メーカーへの転換は祖父の代からの構想でした。しかし、工場に必要な土地の確保と資金調達は容易ではありません。「設備を造るには売り上げの3倍くらいの投資が必要です。当時は氷屋からメーカーに転じた例が周りになく、銀行からは『どこでペイするのか』と融資を断られました」 候補地を見に行っては融資を断られる。それを何年も繰り返しましたが、あきらめきれませんでした。「いずれは氷を仕入れられなくなる。目指す場所は自分たちで作らないといけませんでした」