「このままでは僕の代で終わり」 氷の卸売業からメーカーに転換して切り開いた米国市場
新幹線開業を追い風に工場開設
転機は、北陸新幹線が金沢市に開業した2015年でした。好景気が期待されるなか、工場の適地が見つかり、銀行の融資が下りたのです。中小企業支援の補助金も下り、メーカーとして踏み出しました。 工場は鉄工所跡地を改修し、父が全国の製氷会社を視察して得た知識をもとに、必要な設備を導入しました。生産体制は蔵本さんも一緒に知恵を絞り、毎日のように工場に夜中まで張りついて最適な生産フローを模索しました。 「今もまだ勉強中です。当時は人員の確保にも苦労し、社員を雇用できるまで友人に手伝ってもらったこともありました」 蔵本さんはホームページの開設とロゴの制作も進め、ブログやSNSでの情報発信も始めます。配送トラックの外装やスタッフのユニホームなどを一新しました。
新婚旅行から始まった商機
海外展開の種はメーカーに転じる前の出来事にありました。蔵本さんは2014年、新婚旅行で米・ラスベガスの高級バーを訪れた時、不純物の多い濁った氷ばかり提供されました。 「いずれは海外でクラモトの氷を提供したい」。蔵本さんがブログやSNSでその思いを発信し続けると、2018年、米・ロサンゼルスの食品商社に勤める日本人から「クラモト氷業の氷を米国で広めたい」という電話がありました。 「彼はブログやSNSで調べ上げて、僕のことを熟知していました。当時、米国でカクテルブームが起きていましたが、良質な氷がないのが課題でした」 蔵本さんは悩みましたが、輸出入業の知人から「最後にあなたがリスクをとって判断しないと進まない」と助言を受けます。「最大のリスクを想定してもうちはつぶれないのに挑戦しないのは良くない。勝負に出ようと決めました」 2018年11月、米国に現地法人を設立し、1年ほどかけて市場調査を実施。米国では純氷を仕入れる店はほとんどなく、バーテンダーが店の冷凍庫で作った氷を成型しており、商機は十分あると分かりました。