海外出張を増やした理由と、研究者の仕事の"本分"とは?【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
■「レピュテーション」と「研究活動」 しかしなかなか難しいもので、「じゃあ研究者は、ずっと研究室にこもって、論文を書いてさえいればいいんですね?」と問われると、実はそういうわけでもない。研究成果を研究集会などでアピールしないと、なかなかほかの研究者からは認知してもらえないのである。 「学術研究」というのは一見無機質な活動のように思われるかもしれないが、そうは言っても人間がやることなので、人と人がコミュニケーションする機会はある。論文を投稿した際には、顔は見えなくとも、投稿した論文を査読する「レビュアー(審査員)」も、最終決定をくだす「エディター(編集者)」も人間なので、これも人と人とのコミュニケーションである。 また当然、研究者同士の交流もある。学会や研究集会、セミナーなどの機会がそれにあたる。研究に関する知識を得ることができるだけではなく、その研究に従事した人の「人となり」や個性・キャラクターを、体感として知ることができる。 そのような交流によって醸成されるものが「レピュテーション」である。レピュテーションについては、この連載コラムの31話や52話でも少し触れたことがあるが、要は、「村上春樹の新作なら絶対面白いはず」とか、「ビートルズの新曲なら絶対良い曲のはず」というような、「業界的な安心感」みたいなものである。つまり、「あそこの研究チームから発表された研究成果なら、正しくてインパクトがある研究のはず」という空気感である。 しかし、これがいいことなのかどうかは議論の余地があるのだが(たとえば、上記のような発想に傾倒し過ぎると、「まったく無名の新人が書いた漫画なんて面白いはずがない」、というあまりよろしくないバイアスが生じてしまうおそれもある)、いずれにせよ、レピュテーションというのは、あって損するものではない。
――と、話がだいぶ反れてしまったが、最初の話に戻ると、要は私は、「G2P-Japanの『レピュテーション』(あるいは認知度)を高めるため」に、海外出張の機会を増やしたのである。 最近ではSNS、主にXで、研究集会や人との対面での交流を介さずとも研究成果を対外的にアピールすることができるようになった。実際、そのおかげで、G2P-Japanの認知度はかなり高くなっている。それは、2023年のドイツ出張(22話)や香港出張(78話)でも体感したところでもある。 しかしやはり、「スマホやパソコンの画面だけで知っている」というのと、「実際に対面で会ったことがある」というのでは「親密さ」が違う。そもそも、Xでの情報発信は基本的に一方向なので、SNSで情報が拡散され、仮にレピュテーションが高まっていたとしても、それがどれくらい理解されているのか? あるいは、どのように認知されているのか? そのようなことを発信者の側である私が知るのはなかなか難しい。 そしてなにより、レピュテーションが高まった状態で対面で会うことによって、実りある共同研究につなげることができるチャンスが飛躍的に増える。2022年の10月末、南アフリカで開催された、新型コロナパンデミック後初めての国際会議(15話)に参加してそれを肌で感じた私は、翌2023年、それを実行に移したわけである。つまり私は、G2P-Japanの研究成果をアピールしながら、国際的な共同研究の機会を、虎視眈々と増やしていた(いる)のである。 文/佐藤佳 写真/PIXTA