「ジュリアナ東京」はなぜ芝浦にあった? 巨大貨物列車の廃線跡が物語る晴海・芝浦エリアの“意外な一面”とは
〈タワマンが立ち並ぶ豊洲に突如現れる“地面に埋め込まれたレール”の正体は? 周囲には赤く錆びた鉄橋、茂みの中から貨物鉄道の痕跡が...〉 から続く 【画像】“晴海・芝浦のタワマン群に突如現れるナゾの廃線跡” 東京湾岸の廃線跡を写真で一気に見る 見上げるようなタワマン群が屹立する東京の湾岸、豊洲と晴海。子育て世代にも人気が高い豊洲・晴海エリアだが、かつてその付近には火力発電所や東京ガスの工場が立ち並び、両エリアは東京のエネルギー基地という「別の顔」を持っていた。 そして、その建物の合間を縫うようにかつてはレールが敷かれ、産業鉄道として高度経済成長期の東京の輸送を支えていた。現在は、目新しいショッピングモールやタワマンなどが立ち並ぶ両エリアで、埋もれた鉄路の跡と“倉庫街の豊洲・晴海”の面影を探しにいく。(全2回の2回目/ 最初から読む ) ◆◆◆
戦後、工業地帯として発展していった埋立地
終戦直後、いまの東京湾岸部、東京港一帯はほぼ全域が連合軍に接収された。港を拠点に工業を発展させ、復興の足がかりにしたかった日本にとって、東京の海が使えないのは痛手も痛手。そこで、新たに豊洲の沖を埋め立てて、豊洲石炭埠頭を建設した。さらにその先も東京ガスや東京電力による埋立が続き、広大な工業地帯が生まれる。そして、1953年には貨物輸送を担う東京都港湾局専用線が開業し、工業地帯の豊洲を支えていた。 豊洲の交差点の南東側には、高層ビル群とは少し性質の違う町がある。豊洲で働く人たちのために設けられた住宅地や商業エリア。例のセブン-イレブンも、そうした場所に開かれた。工場で働く人が多い町からコンビニがはじまったというのも、興味深いところだ。 しかし、時代とともに豊洲の町からは、おおよそかつての工業地帯としての面影、そしてそこを走っていた専用鉄道の痕跡は、すっかり消えてしまった。1990年代には火力発電所や東京ガスの工場が姿を消して、入れ替わるようにして再開発が本格化。 1992年に豊洲センタービルが完成したのを皮切りに、段階的にいまの豊洲の町並みが形成されていった。そうした中で、専用線の痕跡を探すのが難しいのも、とうぜんなのだろう。