Netflix映画『喪う』父を看取る三姉妹の比較できない幸せの形【今祥枝の考える映画】
仕事も家事もきっちりとこなして、デキる女性らしさ全開のケイティ。完璧な人生を送っているように振る舞っていたが、通話を聞いてしまったレイチェルはケイティが問題を抱えていることを知る。
ケイティとレイチェルの間に入って、仲を取り持とうとするクリスティーナ。愛する家族との生活に満ち足りている様子の彼女にもまた、人には言えない悩みが……。
■大切な人を喪うことの痛みと向き合うことは、人生をよりよいものにしてくれるはず この映画は、ほぼ3人の姉妹の会話だけで進みます。おおむね父親の姿も、寝たきりになっている部屋のようすがちらりと映るだけ。父親の状態が時々刻々と終わりに向かっていく状況の説明がある中、姉妹たちのやりとりも核心に迫っていきます。 相手を傷つけることを言ってしまったり、反発したり、痛いところをつかれると自分を正当化しようとして声を荒らげてしまう。けれど、本音をぶつけ合うことは悪いことばかりではないのです。そんなふうに思える3人の会話の応酬は、人生の示唆に富んでおり、心の深いところに響くものばかり。 いつかは親を喪うことを想像するだけで、大抵の人はいてもたってもいられない気持ちになるでしょう。その瞬間を目前にして、気持ちが昂り、心をかき乱されながらも喪失と向き合うことで、3人は長年思っていたこと、本当の自分をさらけ出すことができたのではないでしょうか。 結局のところ人生は勝ち負けではないし、どれだけ豊かな人生を送っているか、幸せの価値は他人が決めることではない。そう気づかされる彼女たちの姿に、大切な人の喪失に向き合うことは、つらく悲しいだけでなく、人生をよりよいものにしてくれるのだと信じさせてくれる力が、この映画にはあります。そして、終盤の"ある演出"によって、大切な人を喪った経験のある人にとっては、とてつもなく救われた気持ちになるのではないでしょうか。 疎遠になっていた三姉妹が父親のために共有した時間には、何物にも代え難いものがあります。それこそが、世の中のほとんどの人と同じように完璧な父親ではなかったであろうヴィンセントが、子どもたちに最後に残してくれた贈り物のようにも思えて、いつまでも深い余韻が心に残ります。