「2浪筑波→プロ野球」今は医者を目指す彼の半生。元横浜DeNAベイスターズの寺田光輝さんに話を聞いた
1年生のときは135キロだった球速が、試行錯誤の日々のおかげで4年生では142キロまで伸ばせた寺田さん。とはいえ、チームで7番手投手くらいだったこともあり、自分にプロ野球選手は無理だと思い、就職活動をして地元の企業から内定をもらいます。 ■ついにプロ野球選手に しかし、助監督に進路報告をしたときに「考え直せ」と言ってもらえたことで、自分の中でもまだ野球をやりきれてないと気づいた寺田さん。内定を辞退して、プロ野球独立リーグ・石川ミリオンスターズに入団しました。
ここで寺田さんは、プロからの目に止まる成績を残します。チームに大学のときと同じくらいすごい選手がいたことで、球速で争うことをやめる決断をして、変則サイドスローに投法を変えたことがきっかけで、寺田さんは活躍できるようになりました。 そして、石川ミリオンスターズ在籍2年目の2017年に、横浜DeNAベイスターズから指名され、プロ野球選手になるという夢をかなえました。 しかし、プロ野球選手になってからの生活は、今までにも増して「まったく歯が立たない」という感覚があったようです。
2年目を迎えた2019年には「確実に今年が最後だ」と思っていたそうですが、その中でもプロとしてのプライドを持ち、使命感や責任感を抱えて日々努力を重ねました。結果としてこの年で引退を決意しますが、悔いなく野球生活を終えることができました。 プロ2年目の夏前には次の進路も考え始めていた寺田さんは、先輩と次の仕事について話していたときの「自分たちは野球のプロだけど、社会で働いている人は飲食だったら飲食のプロだし、教師だったら教育のプロだ」という言葉が頭の中に残っていました。
そこで、野球を辞めたら次のどんな仕事も「素人」として戦わなければならないことに危機感を抱き、社会に出る前に準備期間を設けようと考えるようになります。 その一環でどういうことをしたいかを考えたときに、かつて諦めた「医師」という仕事が当てはまり、筑波大学の大卒資格を生かした編入学試験という手段を思い付きました。 ■現在は東海大学医学部に通う 球団から戦力外通告を受けた10月のうちには編入学試験の説明会を聞きに行き、11月には勉強を始めた寺田さんは、英語と生命科学(高校生物の発展)を1年半勉強し続け、2021年に東海大学医学部の1年次秋学期編入試験に合格しました。