『住みにごり』「画力のつたなさ」が生んだ凄まじいリアリズム…救いようがない家族がいつしか愛おしくなる話題作
(文星芸術大学非常勤講師:石川 展光) ■ 人間の汚さ、業の深さを描き出す 『ビックコミックスペリオール』(小学館)に現在連載中で、2024年11月28日に第7巻が刊行されたばかりの『住みにごり』は、90万部(2024年11月時点)を突破。人間の汚さ、業の深さを徹底的なリアリズムで描き出す傑作だ。一見してあまりに酸鼻な内容で目を背けたくなるが、気づけばページを捲る手を止められない。きっと最後まで読みたいと思うはずだ。 【写真】自分の家ではないのに強い既視感を感じるキッチン…執拗なまでの描き込みが魅力の最新刊の表紙 6巻までのストーリーを簡単に紹介すると、29歳の主人公・西田末吉の父・ケンと不倫していた森田という女性が主人公の婚約相手として現れ、主人公一家を家庭崩壊へと導いていくというものである。ケンが森田と情交中に妻・百子が倒れて半身不随になり、介護すべき立場にある末吉の兄・フミヤは15年以上の引きこもりと、どこまでも救いようがない。 この漫画の見どころは、なんと言っても作者・たかたけしの画力にある。デビュー作『契れないひと』(全3巻。ヤングマガジンコミックス/講談社)の冒頭ページを見れば解るが、ほぼ画力ゼロの状態からキャリアがスタートしている。しかし、たかたけしの底力はその画力のつたなさからくる、凄まじいリアリズムにある。仮に上手かったら、全然違う漫画になっていたはずで、ここまでヒットすることはなかったかもしれない。 私は絵が上手いということと、いい漫画かどうかは関係ないと思っている。筒井康隆は著書『創作の極意と掟』のなかで、小説に重要な要素は「迫力」であると述べているが、これは漫画も同様である。その点では本作の迫力は相当のものだ。そしてそれはたかたけしのつたなさを逆手にとったクセの強い画風と、密度の高いリアリズムに裏打ちされているのではないだろうか。
■ ゲス不倫にも鋭くツッコむ 『住みにごり』のリアリズムは大きく分けて二種類ある。一つは執拗なまでの「ディテールの描写」である。最新刊の表紙を見れば解るが、どこにでもあるような郊外の家のキッチンが描かれている。自分の家でもないはずなのに、ここに強い既視感を感じる人は多いはずである。まさに「住みにごり」と呼ぶ以外ない、饐(す)えたような生活臭を醸し出す細部。その臭いまでが漂ってきそうな描写力である。写真をトレスしたものだったとしても、このリアリズムはそうそう出るものではない。 もう一つのリアリズムは「ツッコミ」である。作者は元々お笑い芸人を目指していたということもあり、非常に切れ味の鋭いツッコミがそこかしこに散りばめられている。笑いの基本は、いかにボケとツッコミを絶妙な間で仕込むかということにあるが、『住みにごり』の目眩(めくるめ)く地獄めぐりの中でも、思わず吹き出しそうになるツッコミが頻出する。 どんなに深刻で醜悪な物語においても、ツッコむ要素はあるのだということを、作者は熟知しているのである。第6巻までのゲス不倫ストーリーのクライマックスも、予想の斜め上をいくツッコミで解決させているので、是非その目で確かめてほしい。 物語はここからいよいよ、作中最大のモンスターである兄・フミヤの永きにわたる引きこもり生活への脱却にフォーカスしていく。ここでも登場人物たちの醜い泥試合が延々と繰り返されるわけだが、読み進めるうちにこのキャラクターたちがだんだん可愛く見えてくるのである。なぜだろうか、この殺伐として不穏な郊外の物語そのものが、ほんの少しだけ愛おしくなるのだ。 かつて立川談志は「落語とは業の肯定である」と言っていたが、『住みにごり』にはそれに近しいものを感じる。そして仏教には「貪瞋痴(とんじんち)」の三毒という言葉がある。「欲を貪り、すぐに怒り憎しみ、どこまでも愚かで、懲りない」という煩悩を人間は背負っているということである。それを否定すれば確かに善良で綺麗事の世界になりうるのかもしれないが、悲しいかな我々は天国よりも地獄により想像力が働いてしまう生き物なのである。ならばいっそ、この漫画を読んで自らの業ごと笑い飛ばしてしまえばいいのかもしれない。 ちなみに作者のたかたけしは2014年の5月5日に開催された同人誌即売会『文学フリマ』にて、小説家の乗代雄介、こだま、爪切男と同人誌『なし水』を発表した。のちに全員がプロデビューを果たし、今も大活躍中である。 (編集協力:春燈社 小西眞由美)
石川 展光