眠らない現代社会において、人はいかにして眠るのか?―近森 高明ほか『夜更かしの社会史: 安眠と不眠の日本近現代』
人々が《眠り》に何を求めてきたか。眠る/眠らないことを同時に要請する産業社会の特性とは。「夜更かし」「睡眠」「不眠」を共通テーマとして、研究者たちが眠りの近代的性質をめぐり検討。本書の理解を助けるため、今回、序章の一部を特別公開します。 ◆安眠志向と不眠志向 近代社会の眠りを特徴づける要素の1つは、睡眠への関心と欲望が、かつてない規模で高まった点に所在する。国家によって「正しい睡眠」のありかたが策定・奨励され、人びとが日々自身の睡眠状況に配慮し、企業によって快眠・安眠を促進するとうたったさまざまな製品やサービス、情報が売り出される。今日の日本社会で、眠りをめぐるこのような光景が定着していることは、各種媒体で頻繁に紹介され、一般にもよく知られている。 睡眠に対するこの巨大な社会的関心が、「健康」な身体の保全という動機にささえられてきたことも、直観的に理解できると思われる。事実、戦後社会において、睡眠の充分な確保が代表的な健康法であり続けたことは、1960年代以後の多くの世論調査が証している。1970年(昭和45)、全国の成年者5万1,099人に「健康法」を質問した調査を例にとると、最も多かったのは「睡眠をじゅうぶんとるようにしている」という回答で、全体の45%を占めていた。学校教育や家庭向けの衛生書、衛生当局の啓蒙活動などを回路として、この「睡眠―健康」図式が大衆的に信仰されはじめたのは、20世紀前半にまで遡る。たとえば1924年(大正13)、『実業之日本』編集部が、「各方面の諸名士」336人に「健康法」を質したアンケート企画では、「熟眠」(33人)は4番目、「早寝早起」(31人)は6番目に多い回答となっていた。 夜のスムーズな眠りを補助する製品が大量に登場し、睡眠の商品化が本格始動したのも、ほぼ同じ時代にぞくしている。催眠剤、安眠案内書、蚊帳、蚊取り線香、タオルケット、網戸、扇風機、安眠枕、電気暖房器具など、基礎的な安眠グッズの多くは、19世紀末から20世紀前半に準備され普及したものである。1920年代当時の広告コピーから、いくつか例を引いてみよう。「安眠あれば必ず健康あり 赤玉ポートワイン」、「明日の活動は今夜の安眠から ミササ枕」、「安眠の世界をめぐる安住かとり線香」。戦後になると、この種の睡眠ビジネスはいっそう加速する。矢野経済研究所の算定によると、1988年現在で、「安眠」と「健康」をうたう機能性寝具の市場規模は563億円に達していた。 健康保持という目的のもと、自身や家族の睡眠状況に対して日々配慮を行ない、少なくない費用と労力をここに充てる。金塚貞文が指摘するように、以上に見た現象は、「規格化された労働力の再生産」という近代社会・近代国家の要請を、個人が内面化した帰結として理解できる。つまり、産業社会に適合的な身体を保持すべく、人びとが主体的に自己の眠りを管理しはじめた重要な徴候として、一連の現象は意義づけられる。実際、20世紀の衛生当局が、工場や商業施設の深夜操業に対して規制を課し続けたのも、安眠保全にもとづく「健全」な労働力の再創造、という産業主義的な動機からだった(本書Ⅰ部)。 だが、近代社会の眠りは多義的である。たとえば19世紀以後の産業化の進展や消費文化の勃興、あるいは機械照明の発達が、都市社会の不眠化を惹起したことは、経済史や消費文化史、科学技術史など、さまざまな分野で指摘されている。つまり、夜の労働文化・消費文化の歴史を扱った研究群が教えるところでは、近代社会とは何よりも、眠らないことへの欲望によって特徴づけられるべき社会である。 まず、生産の領域で、近代社会の不眠化は進展する。疲れや眠気を知らない機械設備から、十全な生産能力を引き出そうとする経営者の思惑のもと、深夜労働が機械制工業の分野で定着する。たとえば19世紀末からアメリカでは、「大量生産のための高価な機械設備」をフル稼働させるべく、さまざまな業界で交替制での24時間労働が推し進められ、1927年度にはすでに「ゴム、砂糖、製鉄、鉄鋼の分野の夜業従事者の割合は全従業員の40%以上に達していた」。本書Ⅰ部に見るように、機械設備への配慮からする24時間労働の拡大というこの構図は、同時代の日本の産業界にもあてはまるものである。 勤労者のエトスに照らしても、近代の労働文化は明白に不眠志向型である。金塚貞文が指摘するように、眠らない身体への欲望は、時間の浪費を忌避する近代の職業倫理から、まっすぐに生み出されてくるものである。事実、20世紀前半に刊行された日本の実業雑誌や偉人伝では、実業家たちの不眠ぶり(当時の表現では「精力主義」)が、ロール・モデル的にしばしば紹介されていた。とりわけ好んで語られたショート・スリーパーが渋沢栄一だったのは、日本資本主義の精神と不眠志向の結びつきを、物語ってあまりがある(渋沢は日本工業界の夜業の先駆的推進者でもあった)。1909年(明治42)刊行の伝記の記述によるならば、「〔渋沢は〕六十九歳の今に至るまで、〔略〕徹宵事務を執りて倦むことを知らず、毎夜臥床に入るは大抵午前三四時の交にして、朝七八時に至れば必ず起床」するのであった。 近代社会では一般に、商業・サービス業の分野でも、設備の稼働率と、夜の顧客の多さへの配慮から、夜間営業が常態化する。いいかえると、夜の市街で娯楽的消費に耽る習慣が、都市男性層を中心に共有され、消費の領域でも社会的不眠化が進展する(本書Ⅱ部)。それはたとえば、従業員たちの就寝時刻の遅さとなって具体的に現れる。1925年、東京市が実施した「カフエー女給」の就寝時間調査では、回答者1,654人のうち「午後十一時半から午前二時頃迄に休むものが大多数〔85%〕を占め」ていた。つまり「カフエー」と呼ばれた接客付き酒場では「夜半十一時十二時を以て〔客足が〕最高潮に達する」ため、彼女たち従業員は「昼夜の顚倒した生活をしなければならなくなる」のであった。 以上のように、近代社会では、安眠と不眠の双方を欲望する二元的な機構が成立・作動し、安眠派と不眠派の衝突が、(夜間勤務や深夜の営業騒音などをめぐって)構造的に繰り返されることになる。ただ、この2つの欲望の関係は、対立的なそれに限らない。両者はしばしば同居し、重なりあってもいる。たとえば近代社会の安眠志向とは実のところ、不眠志向の一亜種としても解釈できる。1970年代、「睡眠時間中に健康管理ができる」という理由で「健康ふとん」がブームとなったように、費用や労力を惜しまず安眠を追求する人びとの営みは、労働力の保全・回復という重要なタスクを、睡眠中にこなそうとする動機と、不可分に結びあっているからである。つまり、睡眠の労働化であり夜なべ化である。わけても、眠りながら学習できるとうたった製品が、戦後日本社会の数多の人びとを惹きつけてきたことは(本書Ⅳ部)、安眠志向が含むこの労働的・覚醒的契機を最も端的な形で示した現象として意義づけられる。 [書き手] 右田 裕規(みぎた ひろき・山口大学時間学研究所准教授) [書籍情報]『夜更かしの社会史: 安眠と不眠の日本近現代』 著者:近森 高明(編)・右田 裕規(編) / 出版社:吉川弘文館 / 発売日:2024年02月2日 / ISBN:4642039317
吉川弘文館
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