なだぎ武さん、部屋に引きこもっていた僕を変えた10代の尾道ひとり旅
尾道の古い町並みと出会いのすべてが新しい景色だった
ベンチでぐったりしていたら、「どうしたの?」と声をかけてくる女性がいます。事情を話すと、親切にも車で病院に連れて行ってくれました。点滴を打った後、「今日はうちに泊まっていきなさい」と連れて行かれたのは地元の旅館。そこの女将さんだったのです。その夜は、人と布団の温かさに包まれて眠りました。 翌朝、女将さんの顔を見た時、衝動的に「今日1日お手伝いさせてください」と頼み込んだ自分に驚きました。断られると思いきや、すぐに「わかった。それじゃ働いてもらおか」と受け入れてくれて。その優しさがうれしくて。女将さんが同じ目線でしゃべってくれている気がしたんです。恩返ししたいという気持ちを汲み取ってくれたんです。人のために頑張ろうと初めて思いました。 夜は、女将さんや大将たちと一緒に賄いをご馳走になりました。「人と食卓を囲むご飯は、こんなに楽しくて、おいしいんや」と思いました。そうしたら、自分の未熟さや辛かったことなど、色々な感情を思い出して、涙がボロボロと出てきたんです。お椀を持ちながら嗚咽(おえつ)してしまいました。その時、空気を察した大将が言ってくれた言葉。「俺が作った料理が泣くほどうまいんか。もっと食わんかい」。そんなふうに同じ目線で話してくれる大人がいることに驚いたし、うれしくて、泣きながらご飯をお代わりしたのを覚えています。 この旅で、人は一人では何もできないという当たり前のことを知りました。行動しなければ何にも繋がらないと思いました。1年後、うめだ花月で配っていたNSC(※吉本総合芸能学院)の入学案内のフリーペーパーを見て、「変われるかもしれない」と思い、お笑いの世界に入りました。今は、エンタメに救われた者の一人として、一人でも誰かに楽しんでもらい、勇気付けられたらと思ってやっています。 訪れた80年代の尾道は昭和でした。映画で見た階段があり、坂の上から海が見え、路地裏に猫がいました。その古い町並みと出会いのすべてが、僕にとって新しい景色でした。 聞き手/福﨑圭介 プロフィール なだぎたけし 1970 年、大阪府生まれ。お笑いタレント。吉本興業所属。漫才コンビ「スミス夫人」やお笑いグループ「ザ・プラン9」で活動。単独では2007 年と翌年にピン芸人コンクール「R-1ぐらんぷり」を連覇。外国人キャラクターやものまね芸で知られる。現在はピン芸人としてテレビや舞台、ミュージカルなど幅広く活躍。著書は壮絶ないじめ体験を描いた『サナギ』(ワニブックス)がある。