「もうやってらんねぇよ!」徳本一善ら後輩の突き上げに…24年前の箱根駅伝 伝説の“三つ巴の5区”のウラにあった法大主将の「ブチ切れ秘話」
「もうチームからは離れようと思って」
その結果が冒頭の関東インカレでの大爆発となったのだった。 「関カレの後に教育実習があって帰省する予定だったので、それでもうチームからは離れようと思って。みんな『何言ってんだ、コイツ』みたいな目で見ていましたけどね」 その時は、とにかく苦しい重圧から解放されたかった。 駅伝強豪校の出身ではない大村自身は、もともと高校時代に全国的な実績があるわけでもなく、いわゆるエリートランナーとは一線を画すタイプだという自覚はあった。だからこそ、少しでも個人の実力を上げたかった。 だが、主将に求められるのは駅伝チーム全体の舵取りだ。しかも年始の箱根ではあと30秒のところでシード権を失い、予選会からの戦いを余儀なくされていた。にもかかわらず、なかなかモチベーションを上げてくれないチームメイトにも腹が立っていた。 走ることが嫌になったわけではない。 だが、「チームを率いる」というタスクには心底、嫌気がさしてしまっていた。そうして大村はチームから去る気満々で、地元・長野で行われる2週間の教育実習に出かけて行った。 「『そんなに熱くなるなよ』と言って宥めてくれる同期もいたんですが、当時は全然、響かなくて。もう絶対に辞めてやると思って東京を離れたんです」 とはいえ、現実問題としては実習が終われば大学の講義もある以上、帰京しなければならない。寮住まいで他に家があるわけでもない大村は、結果的に寮に戻らざるを得なくなる。 「走るの自体は変わらず好きでしたし、寮では暮らさざるを得ない。そんなわけで、同じグラウンドでジョグもしているんだけど、隣にいるチームの練習には交ざらないという不思議な状態になっていました(笑)」 正式に退部届を出したわけではない。同じ寮にも住んでいる。練習参加はしないまでも、ジョグをしている姿は周りの目にも入る。そんなおかしな状態が数カ月続いたという。
合宿中にコーチから「中途半端なのは良くないよ」
そして、夏。いよいよ箱根の予選会に向けた勝負の夏合宿の季節にさしかかった。宙ぶらりんの状態だったとはいえ、未だ部に在籍している以上、大村ももちろん合宿にも連れていかれる。 「ただ、やっぱりみんなモヤモヤしますよね。『あいつ辞めるって言ったのに』『なんでそんなやつがいるんだ』と。最初はBチームだったんですが、終盤の合宿ではAチームに合流することになって。結局、そのタイミングでコーチから『さすがに中途半端なのは良くないよ』と言われて」 大村自身も数カ月でだいぶ気持ちがクールダウンされていた。 心の中を見つめ直して分かったのは、自分は走るのが好きだということ。大学生活で最大の目標にしてきた箱根でも、2年間抜かれっぱなしだった。今年こそは誰にも抜かれない走りがしたい――。そして、その舞台に立つには、仲間が必要なことも分かっていた。 「本当に申し訳なかった。これから、これまでの分まで頑張るから」 そう仲間に頭を下げ、大村はチームへと戻ることを決めた。 ただ、いちランナーとして全力を尽くすため、あまりに重かった主将という任は解いてもらった。この時は当時の法大の個人主義的なカラーが良い方に転んだのか、大村を責めるチームメイトも居なかったという。 「良くも悪くもチーム全体がシビアな実力主義という感じだったんです。戻ってくるならどうぞご自由に。でも、箱根を走れるかどうかは実力次第ですからね……という感じで。徳本とかもいたんで、尚更そういう空気感はありました。当時はそのドライな受け入れ方は、むしろありがたかったですね」 そんな経緯を経て、実力で勝ち取った年明けの箱根駅伝5区だった。
【関連記事】
- 【つづき/#3を読む】「藤原が来ました!」日テレアナも思わず絶叫…24年前の箱根駅伝 “三つ巴の5区”の結末は? 天才に挑んだ“雑草ランナー”「勝ち筋はあると思って…」
- 【変わりすぎ写真】「こ、これ…同じ人?」ヒゲにサングラス“超強面”だった法大時代の大村さんと46歳・市役所勤務の現在…「超トガってる」中大・藤原監督の現役時代や、箱根駅伝レジェンドギャラリーも見る
- 【最初/#1を読む】「足が止まるくらいの凄まじい風で…」24年前の箱根駅伝 強風が生んだ大波乱の“三つ巴の5区” 持ちタイム最下位だった「雑草ランナー」が大激走のワケ
- 【藤原監督の現在】「こいつら強かったな」なぜ中大は箱根駅伝で“想定の上限より上”の2位に? “ピクニックラン”狙う青学大・原監督に藤原監督の不敵「1年生、強いですよ」
- 【あわせて読む】「え? そのペースで行くわけ?」駒大・大八木監督も驚愕…24年前の箱根駅伝“学生最強エース”との紫紺対決に挑んだ闘将ランナー「超無謀な大激走」