日本代表、歴代ストライカーの系譜(4)驚愕のゼロトップ! 低い期待から躍進の立役者となったのは?
日本代表は初出場から途切れることなくワールドカップ本大会に出場している。その間、中山雅史や高原直泰、大迫勇也など多くのストライカーが日本代表でプレーしてきた。今回は、1998年のフランス大会からロシア大会まで、ワールドカップ当時のセンターフォワードのレギュラーを紹介する。※所属チームは大会前時点、年齢は初戦時点のもの。
南アフリカW杯
監督:岡田武史 戦績:ベスト16 背番号18:本田圭佑(CSKAモスクワ) 生年月日:1986年6月13日(23歳) 個人成績:4試合出場/2得点1アシスト ドイツワールドカップ後に監督に就任したイビチャ・オシムは、Jリーグで活躍する選手を中心にチーム作りを進めた。FWにはジェフユナイテッド市原で指導した巻を中心に、田中達也や我那覇和樹、佐藤寿人といった選手たちがプレーしている。 07年は海外組との融合を図り、アジアカップでは高原直泰を前線の軸に据えた。高原は準々決勝までの4試合で4ゴールをマークしたが、不発に終わった準決勝で日本代表は2-3で競り負けると、3位決定戦は延長戦を含めて0-0で、PK戦の末に敗れている。 この年の11月にオシムは病に倒れ、翌年から岡田武史監督が日本代表の監督に就いた。北京五輪世代を中心に若い選手が多く抜擢される中で、高原は代表から遠ざかっている。一方、08年10月に初出場を飾った岡崎が09年10月に2試合連続ハットトリックをマークし、エース不在だった日本代表に主力に定着している。 南アフリカワールドカップには常連だった玉田と岡崎、2列目でプレーできる大久保に加えて、森本貴幸と矢野貴章がサプライズ選出を果たしている。 岡田監督は大会直前に戦術の変更を決断した。それまで岡崎をベンチに置き、右サイドの中村俊輔の控えだった本田圭佑を1トップに抜擢。岡崎は試合途中からサイドで起用されることとなった。 岡田監督の采配は的中し、カメルーンとの初戦は本田のゴールで勝利した。オランダには敗れたが、デンマーク戦では本田と遠藤保仁のFKが決まり、松井大輔に代わって出場した岡崎が終盤にダメ押しの3点目を決めた。 1トップに抜擢された本田は2得点1アシストの活躍で決勝トーナメント進出の立役者となった。激しい運動量が要求されるサイドハーフで起用された大久保も4試合すべてに先発。途中出場した岡崎や矢野もサイドで指揮官の要求に答える活躍を見せた。
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