なぜ元世界王者の具志堅氏はジム閉鎖を決断したのか…選手、スタッフは予期せぬ通告にパニック
なぜこんな悲しい事態になってしまったのか。 具志堅氏は、タレント業や講演活動が多忙で、ジムには、あまり足を運べなかった。それでも週に1度、水曜日には必ず顔を出し、多い週には、3、4度来ることもあって、その際には選手の動きを見守りアドバイスも送った。だが、ジム運営に積極的に携わることはなく、夫人と夫人の妹であるマネージャーがジムを切り盛りしていた。 長年、具志堅氏とタッグを組んできた友利氏は、4月24日にツイッターに「20数年勤めたジムを正式に退職しました、残念ながら、このジムは何で選手、トレーナーが辞めて行くのかわかった気がする…チーフなんかやるんじゃなかった」と書いたが、ここ数年、有力選手の移籍が目立つなど、ジム内ではゴタゴタが続いた。 実は、具志堅会長が、ジム閉鎖をほのめかしていたことがある。 2017年5月に故郷沖縄出身で自らがスカウトに動いた比嘉が劇的なTKO勝利でWBC世界フライ級王座を獲得したが、その試合後、「今回、大吾が世界のベルトを獲れなかったら、もうジムを閉めようと考えていたんですよ」と、衝撃の告白をしたのだ。 ジム所属ボクサー第1号の名護明彦から始まり、2012年には山口直子が女子の世界ベルトを巻き、2013年には江藤光喜がWBA世界フライ級暫定王者となったが、正規王者にはなれず、“カンムリワシ2世“の育成には、ずっと苦労してきた。もう、この時点で世界王者を育てる気力のギリギリのところにあったのかもしれない。 その気持ちをつなぎとめてくれたのが、比嘉の存在だったが、2018年4月に計量オーバーで失格、3度目の防衛に失敗して無期限のライセンス停止となった。過酷な減量があった比嘉に対して、前回の防衛戦から約2か月の間隔で世界戦を連発させたのにも無理があった。 コーチングに定評のあった野木丈司トレーナーが責任を取ってジムを離れたこともあり、比嘉とジムとの信頼関係はなくなった。比嘉のライセンス停止が解除され、今年2月に再起戦を飾ったが、試合後、ジムへの不信感を露わにして、3月を持って契約を更新せずにジムを離れた。 具志堅氏が会長職に専念できないため、夫人とマネージャーの2人が、なんとかジムの経営を軌道に乗せ、次なる世界王者を誕生させようと奮闘していた。礼儀や生活面から指導していたが、「ボクシングを知らない人」のアドバイスや“介入“は、理解されにくく、選手やスタッフとの摩擦や不信感を生むことにもなった。