震災で犠牲「姉と兄を知らない」妹・弟 2人の子の生きた証「つないでいく」父親命を語り継ぐということ【震災30年】
■子どもが自分たちなりに考える つなぎ続ける“命の大切さ”
この日、精道小学校の子どもたちは震災について学んだことを発表していた。 米津さんの経験などを聞いて、自分たちなりに考えたことだ。 児童:命があるからこそ、私たちはよろこび、悲しみ、仲間と笑いあえることができると思います。そんな大切な命が地震で簡単に失われます。生きていくことのよろこびと生命の大切さを忘れないでほしいです。 児童:米津さんなどの遺族の方が繰り返し、『亡くなった人にはもう会えないけれど、自分の心の中でずっと生き続けている』と語ってくれた。 米津さんは20年以上、「震災学習」を通して“命の大切さ”をつなぎ続けている。 米津勝之さん:勉強しましたけど感想言ってください。 児童:ちゃんと生きる意味とか、そういうのを見つけるきっかけに変えていかないと、震災は悲しいままのものになっちゃうから、つらい面にはちゃんと向き合って、生きる意味に変えていく。生きがいとか、ちゃんと見つけていって、一日一日、大切にして生きていくことが大切だと思った。 米津勝之さん:なかなかちょっとこの時間濃かったな。このチームだけ特別授業できてよかった。 米津さんの思いは、子どもたちにもちゃんと届いていた。 また一つ、想いがつながる。 米津勝之さん:亡くなった いなくなった。でもそれで終わりましたっていうことにしたくない。その命、生きてきたこと、亡くなった後も存在し続けていることを感じてくれて、そこから何か、その人の人生にとって意味を感じてくれるということが、俺が最初に『漢之と深理の命を受け継ぐものとして、やれることを探していきたい』ということの答えなんちゃうかなと思う。
■年を重ねてもともに…2人の命をつなぎ続ける
先月、深理ちゃんは35歳の誕生日を迎えるはずだった。 米津好子さん:誕生日に作りたいといったので一緒に作った。まあ、あの年齢にしたら簡単だったかなという。 (Q.毎年作ってらっしゃるんですか?) 米津好子さん:毎年。 作るのは、最後の誕生日に食べたケーキと、好物だったビーフシチュー。メニューは5歳の頃のままだ。 米津勝之さん:深理ちゃんお誕生日おめでとう乾杯! 亡くなった2人とともに囲む食卓。米津家がずっと続けている日課だ。 米津勝之さん:この歌が好きやってん。よう歌ってはってん。 「あわてんぼうのサンタクロース」の曲をかけながら、米津さん家族は深理ちゃんへの思いを手紙に書いた。これも毎年のことだ。 米津勝之さん:当時の自分の年齢を、彼女が超えたということに、うれしいとか悲しいとかそういうものとは別の、それだけ時間がたっていったんだなということ。ずっと一日考えていました。 米津好子さん:あの5歳の時のままというのが正直なところかな。時は流れてるんですけどね。家族の誕生日という形で、考え込んでしまうと手が止まってしまう。そこは平常心で。だから多分30年近く作ってこれたのかな。 年を重ねても「共にいる」―。米津さんは2人の命をつなぎ続けていく。 (関西テレビ「newsランナー」2025年1月9日放送)
関西テレビ
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