女?男?それとも?多様な性のあり方 ~「トランスジェンダー」のリアル
「生まれたときの性別」への違和感をもつトランスジェンダー
トランスジェンダーとは「生まれたときに割り当てられた性別とは違う性別の自認を持つ人」のことだ。たとえば、男として生まれたのに、「自分は男ではなく女だ」と感じている人たちだ。 トランスジェンダーと似た意味の言葉で「性同一性障害」というのもある。こちらはWHO(世界保健機関)の分類にもある疾患名で、「心の性と体の性の不一致に苦しむ状態」をさす。 「正確な数字はありませんが、日本で性同一性障害と診断された人は1万7000人ともいわれています」。2003年に日本で初めて性同一性障害であることを公表して地方議会選に立候補し、東京都世田谷区の議員になった上川あやさんはこう説明する。 性同一性障害と認められるためには、性別への違和感が一時的なものではないことを確認することが必要だ。基本的には半年以上の期間をかけて、継続的に精神科医による診察を経て判断される。 日本では2004年に「性同一性障害者特例法」が施行された。「未成年の子がいない」「性別適合手術を受けた」などの条件を満たせば、戸籍の性別を変更できるようになった。 しかし、医療機関を受診する人たちはトランスジェンダーのごく一部で、潜在的に性別への違和感を覚えている人はもっと多いとみられている。
地方都市には「異質なものを受け入れる免疫」がない?
「地元にも、自分と同じような仲間がいたんだよ。嬉しかったし、皆と仲良くなりたいし、自分のことも知りたいと思った」。げんは40歳近くになって初めて、浜松でトランスジェンダーの仲間と交流を持つことができた。子どもの頃の話や悩み事の相談、様々な情報交換をする中で「やっぱり自分もそうだ!」と性自認を確立していった。 「離婚原因はジェンダーのことじゃないよ。だれでもそうだと思うけど、離婚原因なんてひとつのことだけじゃないし。相手に落ち度があったわけでもない。相手とジェンダーの話は全くしていない。相手の親戚や近所の手前もあるだろうしね。性格の不一致ということにしておいてよ」。あえて原因をうやむやにしたまま離婚した。 離婚届を出したその日にばっさり髪を切り、坊主刈りに戻した。げんは自らがトランスジェンダーだと認識できたことで、ようやくアイデンティティーを獲得できたのかもしれない。 「浜松では異質なものを受け入れる免疫はほとんどないと思う」。げんと同じく浜松生まれのトランスジェンダーで、現在は東京でモデルとして活躍するイシヅカユウさんはそう語る。 男性として生まれるも、性別に違和感を持ち、辛い思春期を過ごした。「中学時代は学ランが嫌で仕方がなかったのに、理解のない学校だった」。しばらく体操服登校を続けたが、2年生で不登校になった。「浜松は代々そこで暮らし続ける人が多いけど、東京はいろんな人が入れ替わり立ち替わりやって来ることが前提の街。私みたいな人も受容してくれる」 「浜松のような地方都市は、大都市と違ってまだまだムラ社会」。そう語るのは、10年以上前から性的少数者を支援する活動をしている浜松市議会議員・鈴木恵さんだ。「自分たちの存在を主張すると個人が特定され、差別されるのではないかという危惧がある。当事者が存在を主張しにくい。それが一番問題」と語る。 自分の本当の姿を明らかにできない息苦しさは、数字にもあらわれているようだ。文部科学省が昨年6月に発表した調査結果によると、全国の小中高校で性同一性障害について相談した子が606人いたとされたが、浜松市はわずか1人だった。「浜松市内の小中高校にトランスジェンダーの子がたった1人なんてありえないと思いません?」。そう疑問を口にする鈴木さんは「誰かに悩みを言い出せるような環境が浜松にはまだ全然ない」と地方都市の閉塞性を指摘する。 医療機関の不足も問題だ。げんは性同一性障害の診断を受けるために、信頼できる精神科医を求めて病院を転々とした過去がある。 「人口が80万人もいる政令指定都市の浜松でさえ、なかなか見つからないんだよね。市内にもトランスジェンダーはたくさんいるはず。全員が治療を望むわけじゃないけど、みんなどうしているんだろうと思うよ」。げんはなんとかツテを頼り東京のジェンダークリニック(性同一性障害を扱う医療機関)にたどり着いた。「自分は心から信頼できる先生に出会えて運がよかったし本当に幸せ。でも、継続して通うのは交通費が大変」と苦労をにじませる。