日本人は「気分」や「雰囲気」で重大な紛争の種をみずからまいている…日本人のあいまいな法的意識の「深層」
「法の支配」より「人の支配」、「人質司法」の横行、「手続的正義」の軽視… なぜ日本人は「法」を尊重しないのか? 【写真】日本人の死刑に関する考え方は、先進諸国の中では「特異なもの」だという事実 講談社現代新書の新刊『現代日本人の法意識』では、元エリート判事にして法学の権威が、日本人の法意識にひそむ「闇」を暴きます。 本記事では、〈なぜ日本人は「公共的正義の感覚」が乏しいのか?…「法と権利」に関する現代日本人の法意識〉にひきつづき、所有権、契約に関する日本人の法意識についてみていきます。 ※本記事は瀬木比呂志『現代日本人の法意識』より抜粋・編集したものです。
所有権に関する法意識
所有権は、いうまでもなく権利の代表格であり、法学においてもさまざまな点で別格の扱いを受けている。ところが、この代表的な権利に関する日本人の法意識は、時としてきわめてあいまいなのである。 そのことによって生じる問題の典型的なものは、「土地や建物の所有権に関する登記の名義を確たる理由もなく他人のものにしておいた結果、あとから深刻な紛争になる」という例だろう。 たとえば、Aさんが、義父の土地を無償で借り(使用貸借)、そこに自宅を建てたのだが、なぜか、その登記名義は義父のものにしておいたといった例である(拙著『我が身を守る法律知識』〔講談社現代新書〕第1章)。その結果、義父の死後に、その遺族(Aさんの妻は除く)との間に紛争が起き、Aさんは、建物の所有権確認の訴えを起こすことになる。「登記は義父のものだが実は所有権は自分にある」という主張だから、立証も必ずしも簡単ではない。また、勝てたとしても、賃借権よりもはるかに弱い権利である使用貸借権は相当期間の経過で終了するから、その後に義父の遺族から建物収去土地明渡しの訴えを起こされれば、敗訴せざるをえない。 では、Aさんを含め、こうしたおかしな処理をしてしまう人々は、なぜそうするのだろうか?訴訟では、「税金対策になると聞いたからです」などといった説明がよくなされる。しかし、そうはいうものの、それではどのような税がどのように節税(脱税?)されたのかは、一向に定かでないのが普通なのである。 私は、こうした人々が実際にそうした理由は、「他人の土地にただで建物を建てさせてもらったのだからそのお礼的な意味で」、「そういう相手から、『名義はとりあえず自分のものにしてくれないか。税金対策になるとかいう話もあるし』と言われると反論しにくかったから」などといったことではないかと考えている。 法的には、先の拙著にも記したとおり、「他人の土地の上に建物まで建てさせてもらうなら、土地は賃貸借で借りて賃料を払う」という処理が適切なのである。しかし、法律にうといことと、「ただで貸してくれるというのに賃料を払うなんてもったいない。それに、契約書をきちんと作って賃貸借なんて、水くさくて言い出しにくい」といった情緒的、刹那(せつな)的な理由から、先のようなことになってしまいやすいのだろう。 以上は、数十年間考え続けた上での私の推測である。しかし、日本人が、このように、その時々の「気分」や「雰囲気」に類する事情(その場の「空気」)によって重大な紛争の種をみずからまいてしまいやすいのは一体なぜなのかということになると、私も、今なお十分には理解できていない。 この点につき、川島は、「近世の日本には、客体に対する包括的、絶対的、観念的支配権という意味での所有権は存在せず、それぞれの主体が一つの土地の上に重畳的な権利をもっていた」とし、そのことから演繹(えんえき)して、「現在でも、日本人の所有権に関する意識は弱く、かつ排他的なものではないのだ」という。 確かに、日本の近世における所有権の相対性は、法制史学者や歴史学者の共通理解である。村や百姓は、大名等の領地についてもしばしば一定の利用権をもっていたし、共有の入会地も多かった。『現代日本人の法意識』第2章で分析したような百姓たちの訴訟には、こうした利用権についての争いも多数あった。 しかし、所有権の相対性に関するそうした法意識が現代にも強く残存するとして川島の挙げているような事例は、現在の日本人にはもはや当てはまらないものが多い。 今日の日本人は、川島がいうように、空き地に無断で立ち入ったり使用したり、他人のものを罪の意識なく自分のものにしたりはしない。確かに、私が子どものころには、まだ、空き地は当然に子どもの遊び場だった(1960年代ころまでの漫画を参照)。だが、それは、今ではもうありにくいことだ。 日本の民事訴訟に特徴的な前記のような事態を、川島のいうような江戸時代の法意識の残存だけで説明することは難しい。それは、せいぜい、付随的な根拠の一つにとどまるものではないかと考える。 この点については、次に論じる「契約に関する法意識」とも関連する事柄なので、それについて述べた後に、「日本人のあいまいな法的意識の『深層』」の項目で、併せてさらに分析したい。