「10代は無敵だった」元19・岡平健治、「風呂なしトイレ共同」から経営者へ
1999年、「あの紙ヒコーキ くもり空わって」で一世を風靡した「19(ジューク)」。元メンバーの岡平健治は現在、実業家として活躍し、当時を上回る収入を得ているという。一時は音楽からの引退も考えたという岡平。19時代からの紆余曲折の歩みを聞いた。(取材:渡辺紺/構成:大矢幸世/撮影:伊藤圭/Yahoo!ニュース 特集編集部)
思い出は美しいままで
「10代って、“無敵”じゃないですか。みんなも、そうだったはず」 岡平健治の10代はまさにその言葉通りだった。中学からプロミュージシャンを志し、高3で出会った岩瀬敬吾とフォークデュオ「少年フレンド」を結成。その後、イラストレーター・作詞家の326(ミツル)を引き入れて1998年に「19(ジューク)」としてデビュー。2枚目のシングル「あの紙ヒコーキ くもり空わって」が大ヒットし、デビュー2年目で紅白歌合戦出場など、華々しい実績を残した。
しかし2002年2月、人気絶頂時だったにも関わらず同年3月で解散することを突如発表した。結成からわずか3年4ヶ月。岡平は当時を「輝かしい青春時代だった」と振り返る。 「ファンのみんなにはいまでも、申し訳なかった思いはあるんです。気持ちとしては長く続けたかったけど、めまぐるしい毎日の中で、何も考えられないほど忙しくて……いちばんいいときに、ケジメをつけてやめてしまった。あれほどのムーブメントを起こして、あれ以上の楽しい時間はなかったですよ」 今でも元メンバーの岩瀬や326と連絡を取り合うという。 「あれから何度も、お世話になった方々に再結成しないか、とお声がけいただいた。僕だって、何度もお断りするのはつらいんです。でも……だからこそ、『一夜限りの復活』なんて、ファンに対して誠意がないと思うんです。思い出は思い出のままで、美しいままでとっておきたい。世の中には再結成するバンドも多いけど、逆にそんなアーティストが1組くらいいたって、いいじゃないですか」