「10代は無敵だった」元19・岡平健治、「風呂なしトイレ共同」から経営者へ
夢のない時代に、音楽を続けられる環境を
東京・西新宿の高層ビル群を抜け、マンションが立ち並ぶ一角に、目を引くチェッカー柄のエントランス。扉を開けて地下へ下りれば、そこは毎晩のようにミュージシャンが演奏するライブハウスだ。 岡平は、このライブハウスをはじめ、スタジオやカフェバーなど全国に計5拠点ある不動産を経営する「RockFord Records」の会長顧問を務めている。 「ヒット曲を飛ばしたアーティストが自己資本をもとに、実業家として不動産業界へ華麗に転身」──。 実際、岡平をそう取りあげたテレビ番組もあったが、岡平が求めていたのは単なる不動産収益ではない。駆け出しのミュージシャンでも売れないミュージシャンでも岡平のビルに来ればライブができてファンが集う。さらにはレコーディングスタジオも用意されているため、創作活動にも集中できる。そんな場所を提供したい――。19時代と形こそ違えど、岡平は音楽の世界に身を置いているのだ。
レコード会社から解雇通告。逆境から会社を立ち上げた
2002年の19解散から間も無く、岡平は3ピースバンド「3B LAB.☆S(スリービー・ラボ)」を結成。同年11月には、ミニアルバムでデビューを果たすなど精力的に音楽活動を続けていた。根っからの音楽好きに見える岡平も一度は音楽から身を引くことも考えたという。 「デビュー10年の節目に引退しようと思っていたんです。3B LAB.☆Sも含めて、いったんもう、音楽をやめよう、と。それでファンに最後の挨拶をしようと、自分1人でハイエースを運転して全国を回る『弾き語り自走ツアー』を始めたんです」
たった1人で全国のファンに音楽を届ける。それまでのライブとは違う達成感がそこにはあった。 「自分でハイエースを運転して、5、6時間前に会場入りして機材搬入して、セット組んで……精神的にも肉体的にも鍛えられた。その頃やっと、『あ、生きてる』って感じがしたんです。それでなんか、もっかいやってみようかなと」 しかしそう決意した矢先、岡平の元に所属レコード会社から報せが届く。それは、岡平以外の「3B LAB.☆S」のメンバーとの契約終了をするという受け入れがたいものだった。 「その通告っていうのは僕のところにまず来た。いったんは僕からメンバーにそれを報告しながらも、思い直してまたレコード会社へ向かった。『僕も辞めます。自分たちでなんとかします』って言ってやりましたね。スカッとした」 この瞬間から、岡平は経営者として第一歩を踏み出した。