古代の権力者【物部氏】とはどういった氏族だったのか?
教科書に登場するものの、わずか数行の扱いで、蘇我氏との勢力争いに敗れた古代豪族として語られる物部氏。彼らは一体、何者だったのだろうか? ■物部氏の起源と興隆 天孫降臨伝説と勢力形勢 物部氏は、『国史大辞典』には「饒速日命(にぎはやひのみこと)が物部氏の遠祖である」と書かれている。この饒速日命というのは「天神の子で天磐船(あまのいわふね)に乗って天上より降った」神様というのである。まったく人を食った話である。物部氏という人間の氏族の先祖が神であるなどという話を、現代人で信じる人がいるであろうか。もしいるとしたならば、物部氏の子孫は数多おり、彼らも神の子孫ということになる。これは『日本書紀』神武天皇即位前紀に記された記事である。津田左右吉(つだそうきち)の『日本古典の研究』では、『日本書紀』は天皇家の国家統治を正当化するために書かれたものとし、上山春平の『埋もれた巨像』は「とくに神代巻の部分に藤原不比等(ふじはらのふひと)の政治構想があらわな姿で投影されている」と指摘している。こうした考えをどう評価するかは問題であるが、事実として『日本書紀』は神話を含んでおり、純粋な歴史書とみなすことはできない。 また、大和朝廷を一貫したものと見ることも間違いである。継体大王の時に、大和勢力は衰退し、継体自身は越国からの勢力とされている。物部麁鹿火(もののべあらかび)が継体紀に登場するのも新王朝になってからということで理解できる。それゆえ物部氏の祖先が誰かなどという質問は愚問にちかい。古代氏族の初代を誰とするかなどということは「不明」というしかあるまい。系譜というものが残っていると考える向きもあるが、文字が日本で使われるようになる以前から人は存在している。 漢字の輸入は5~6世紀の頃とされる。もちろん首長層においては3世紀には使用があった可能性はある。ともかく漢字の普及も継体紀に相当している。つまりそれ以前の「氏族」の歴史を探るのは極めて困難なのである。 さらに物部という氏名を部民制に基づくものと考えると、「物部」というのは「物」を管理した部民ということになる。5世紀前後の「物」とは何であろうか。おそらくは王にまつわる「物」であろうと思われるが、特定することはできない。 監修・執筆/中村修也 歴史人2024年7月号『敗者の日本史』より
歴史人編集部