日本の金利はどこまで上がるのか 正常性バイアスと「円金利急騰シナリオ」【解説:三井住友DSアセットマネジメント・チーフグローバルストラテジスト】
2.「正常性バイアス」という仮説
■都合の悪い情報から目をそらすことを、心理学では「正常性バイアス(Normalcy bias)」と呼びます。例えば、災害や事故、事件により危険が迫っているときでも、人はパニックに陥ることを回避するため、(1)都合の悪い情報を無視したり、(2)「まだ大丈夫」と過小評価したり、その結果として、(3)必要な回避行動をとらないことが少なくありません。日本のコアCPIは、2022年4月に約7年ぶりの2%台となる2.1%を付けて以降、31ヵ月連続で2%超の水準が続いています。こうした長期にわたる日本のインフレを「一時的」と考えるのは、さすがに無理が生じてきているのではないでしょうか。 〈インフレで進む貧困、エンゲル係数は40年ぶりの高水準に〉 ■食品価格の高騰と実質賃金の低迷から、日本のエンゲル係数は約40年ぶりの高水準となる約29.3%まで上昇しています(図表3、2024年7-9月期)。こうした厳しい状況にも関わらず、長期金利がインフレに反応しないのは、保険会社に代表される一部の機関投資家が積極的な買い姿勢を見せていること、日本経済が更なる利上げに耐えられないと考える向きが多いこと、そして、政治的なプレッシャーもあって日銀は大胆な利上げには踏み切れないとの見方が多いこと、といった要因が挙げられそうです。 ■こうした長期金利の上昇を抑え込む要因の背景にあるのは、(1)インフレの実態から目を背け(無視)、(2)本格的な利上げは先と考え(まだ大丈夫)、だから(3)債券の保有を続けても大丈夫(回避行動はとらない)と考える、「正常性バイアス」のせいかもしれません。
3.Rスターを起点に検証する金利上昇ポテンシャル
■もし、日本の低金利の背景にこうした「正常性バイアス」があるならば、円金利は些細な出来事をきっかけに大きく上昇に転じる可能性があります。そこで、自然利子率や期待インフレ率、そして金利の長短スプレッドを使い、10年債利回りのフェアバリューを試算していきます。具体的には、まず、(1)日本の自然利子率の推計値を起点に、(2)市場の期待インフレ率を加えて景気に中立な政策金利を試算し、これに(3)長短スプレッドを加えて10年債のフェアバリューを試算します。 ■「自然利子率」は、景気への影響が緩和的でも引き締め的でもない実質金利の水準のことです。英語では“Neutral rate of interest”、略してRスター(R*、Rは実質金利Real interest rateの頭文字、スターは星印「*」のことで「特別な」「特定の」という意味)とも呼ばれます。 ■自然利子率は一般に推計が難しく、計算方法によりばらつきが大きいとされています。ちなみに、日銀では複数のモデルを用いて日本の自然利子率を試算していて、その結果は▲1~+0.5%としています。 ■自然利子率の推計には、需給ギャップと実質金利の関係などを仮定して景気中立的な金利水準を試算する「準構造モデル」と呼ばれる手法がよく使われています。そこで、今回の試算では代表的な「準構造モデル」である「Laubach-Williamsモデル」の発展形で、米ニューヨーク連銀も自然利子率の公表データの算出に使用している「Holston-Laubach-Williamsモデル(HLWモデル)」の数字を用いることとします。 〈景気に中立な政策金利の推計〉 ■日銀が試算するHLWモデルを用いた日本の自然利子率は、直近の値で0.509%とされています(図表4、2023年第1四半期時点)。自然利子率はインフレ調整後の実質値なので、この数字に市場が現在織り込んでいる期待インフレ率(10年、1.428%、12月13日時点)を加えて景気に中立な名目の政策金利を試算すると、その結果は1.937%になります。 ■次に、10年債利回りを試算するため、景気に中立的な政策金利に「政策金利と10年債の利回り格差(スプレッド)」の0.792%(12月13日時点)を加えると、計算結果は2.729%になります。 〈日本の長期金利のフェアバリューは2.7~3.1%か〉 ■ちなみに、「政策金利と10年債のスプレッド」は、アベノミクスによる異次元緩和の実施時期に大きく縮小していたことが確認できます。そこで、2000年1月以降、2012年12月の第2次安倍政権発足までのスプレッドを確認すると、平均値は1.184%(中央値1.192%)でした。そこで、この長短スプレッドの平均値に景気に中立な政策金利の推計値を加えると、10年債利回りの試算値は3.121%となります。 ■直近の長短スプレッドを使用した10年債のフェアバリューは2.729%、異次元緩和前の約12年間の平均値を使用した結果は3.121%となり、いずれも足元の10年債利回りの1.042%(12月13日現在)からは相当な隔たりがあることが確認できます(図表5)。 ■これらの結果は、一見すると現実離れした水準に見えますが、海外の主要国と比較するとそうした違和感は薄れていきます。というのも、主要国の長期金利はコロナ禍後のインフレ圧力の高まりから大きく水準を切り上げていて、例えば、米国の10年債利回りは、2022年1月から2023年10月のピークにかけて約3.36%上昇しています。同様に、ドイツ国債は▲0.12%から2.98%へ、フランス国債は0.24%から3.56%へ、イギリスのギルト債は0.97%から4.74%へと、いずれも3%前後の大幅な上昇を見せています(図表6)。 ■現在、日本のCPIと欧米主要国のCPIはほぼ同水準にありますが、日本の長期金利だけは2022年1月以降の上昇幅が僅か約1%にとどまっています。こうして見ると、日本の長期金利だけが現在の水準に留まっていることのほうがむしろ不自然に感じられ、今回の試算値が示すような2%台後半~3%程度の金利水準のほうが、むしろ腹落ちする数字に見えてきます。 〈まとめに〉 日本の国債利回りは、海外との比較で驚くほど低いように見えます。こうした円金利の低さは、日本のCPIが31ヵ月連続で2%を上回り、今後もしばらくは2%台での推移が見込まれる現状にあって、持続可能なのでしょうか。もし、危険を過小評価する「正常性バイアス」が働いているならば、非常口が混みあう前に逃げ出したほうがよいのかもしれません。 自然利子率や金利の長短スプレッドを仮定して日本の10年債利回りのフェアバリューを試算すると、その水準は約2.7%~3.1%にも達します。こうした数字は現実離れして見えますが、日本のインフレ率が欧米諸国と遜色ないこと、そして、欧米諸国の長期金利が日本よりもはるかに高水準にあることを考えると、あながち的外れな推計とも言えないように思われます。 ※当レポートの閲覧に当たっては【ご注意】をご参照ください(見当たらない場合は関連記事『日本の金利はどこまで上がるのか 正常性バイアスと「円金利急騰シナリオ」【解説:三井住友DSアセットマネジメント・チーフグローバルストラテジスト】』を参照)。 白木 久史 三井住友DSアセットマネジメント株式会社 チーフグローバルストラテジスト
白木 久史,三井住友DSアセットマネジメント株式会社
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