米軍に入隊した日本男児サイトウ曹長が体験した"戦場の真上の恐怖"「基地に帰って、ヘリの機体を見たら『穴が開いてるじゃん!』って」
「酷暑の砂漠でどう生き延びるかなどの講習を受講したりして、1週間が経過した6月3日、『明日、イラクに入る』と中隊長から言われました。その夜に実弾が支給されて、翌4日、自分の誕生日の早朝にヘリで飛び立ちました」 イラクのアル・アサード航空基地に到着。米軍が占領してから造られた基地だ。 「航空基地で最初にしたのは住む部屋の手続き。滑走路の近くに小屋みたいな小さな隊舎が何十個も建てられて、ベッドがふたつあるふたり部屋にもうひとりのクルーと住むことになりました。 ベッドはちゃんとマットレスだったし、日本製のエアコンもあって、お金を払って契約すればインターネットも使えて。かなり便利でした」 ■負傷兵をヘリに乗せ「死なねえから、大丈夫だ」 そしてついに戦場での任務が始まる。 「自分たちは『フライトメディック』と呼ばれていました。任務の内容は、最前線で負傷した兵士をヘリに乗せて基地の病院に搬送する際に機内で負傷兵を診ることです」 基地に連絡が入ったらすぐに動き始める。 「負傷兵の情報が入ったら、CH46に走って乗り込み、すぐに離陸。指定された地点に急ぎます。 だいたい、最初に速度の速いUH60ブラックホーク(最高速度295キロ)が出て、その後に負傷兵が多く乗せられるCH46(最高速度267キロ)が出る。 そのとき、何度かイラクに来たことがあった曹長に『死にたくなかったら、着陸する前に階級章と衛生のマークを外したほうがいいよ』と言われました。負傷兵を運ぶ衛生兵なんて相手のスナイパーからしたらただの餌食(えじき)ですから。標的にする順番は指揮官、無線手、そしてウチらメディックなんです。『死にたくねー!』って思ってすぐに取りましたよ(笑)。 あと、L字形の懐中電灯。あれに赤いレンズをつけて使っているのは、映画好きか、ただのド素人です。赤は米軍の色だからすぐに敵だってわかってしまう。だから自分らは青に変えて使っていました。青は英陸軍の色だから。イラクにいた敵からすると、『赤だ。米軍だぞ。殺そうぜ』となっていましたから」 着陸したCH46の後部ハッチが開くと、担架に乗せられた負傷兵が急いで運ばれる。 「自分らが着くまでに、歩兵部隊についている衛生兵が最初の処置をやってくれているので、負傷兵を機内に乗せながら負傷した状況や戦傷の度合い、施した処置を聞いて、可能な限り早く離陸します」 そんなとき、敵の武装勢力が現れたら撃ち合いになる? 「運んでるときに撃たれることもありますけど、フライトメディックが銃を撃つような状況ってもう周りが皆死んでるときなんです。ホルスターにM9拳銃は入れてたけど、ただのおもちゃですよ。とにかく早く行って、早く出てくるのがウチらの仕事です」 しかし、ヘリの中でできることは限られる。