米軍に入隊した日本男児サイトウ曹長が体験した"戦場の真上の恐怖"「基地に帰って、ヘリの機体を見たら『穴が開いてるじゃん!』って」
「空母や揚陸艦は艦底部が真っ平らに造られていて、波に対してあまり揺れない安定感のある構造になっています。その代わり航行速度は遅い。ちなみに護衛艦などは艦底部がV字になっているので速いんです。 とはいっても艦の上に2週間ですから。特に気がめいったのは食事です。最初の1週間はサラダや牛乳が出るんですが、1週間過ぎる頃には新鮮な野菜が出なくなり全部揚げ物になるんです。後半はチキン、魚、ポテトのフライだけ」 そしてシンガポールに着岸。陸地でつかの間の休息だ。 「シンガポールではバーに飲みに行ったりしましたよ。そこで女性をナンパしてね。そしたら、そいつの男が出てきて急に殴られたんですよ。『手ぇ、出すなよ』って。 そしたら、吹っ飛ばされた僕を見たほかの海兵隊員たちが、一斉にそいつを押さえてボコボコにしてね。騒ぎが大きくなってきたので、当時の曹長が『逃げるぞ!』って。皆で夜のシンガポールを全速力で走って逃げました。 逃げ切ったところで、『海兵隊にようこそ、ドク』って言われてね。海兵隊で『ドク』と呼ばれるのは、メディックとして信頼されている証拠なんです。認められたのかなってうれしくて、ちょっと泣きましたね」 ■クウェートに到着、イラク出撃の準備 そして再びイラクを目指して洋上へ。 「飯に困るってわかったので、シンガポールで炊飯器と米、レトルトカレー、カップラーメンを大量に買っておいたんです。一般の海兵隊員だと隠せる場所はないんですが、メディックにはメディックだけが鍵を持ってる医務室があったんです。そこでこっそり作って、仲間内で食べたりしていました」 そうして揚陸艦は2、3週間かけてインド洋を越え、ペルシャ湾に入る。たどり着いたクウェート沖は40℃を超える酷暑で、容赦ない日差しが照りつけた。 「揚陸艦からLCAC(エルキャック・揚陸用ホーバークラフト)に乗って、クウェート沖の海浜に上陸しました。これが結構揺れるんですよ。揚陸艦では酔わなかったのに、最後の最後に船酔いしてね(笑)。 着いてすぐにイラクには入りません。気候に体を慣らさないと倒れるので、まずクウェートの米陸軍駐屯地に行って1週間過ごすんです。 駐屯地には韓国軍や航空自衛隊もいました。イタリア軍もいたかな。空自のやつらとは『俺も日本人なんだ』って話しかけて『なんか飯ない? カップ麺と交換してくれよ』ってやりとりしましたよ。そこの隊員食堂は米陸軍が仕切っていたけど、韓国軍がいたからキムチと白米があってね。それがうれしかった」 そしてイラクに出兵する準備を整えていく。