いつかはと思い続けた「ある仕事」をとうとう50代から始めたら。気力が充実、“引き寄せパワー”も働き始めた!【フリーアナウンサー住吉美紀】
そのライターさんが、私に指示を出す中で「私が月曜までに2500字書いてくるから、その原稿を……」と何気なくおっしゃった。その言葉を聞いた瞬間「ゲゲ。“月曜まで2500字”って、大学の課題みたいだ。書くのは好きだけど、宿題はイヤ。宿題がずっと続くなんて無理」と学生の私は感じてしまった。そしてそれが大きな理由で、「書く方じゃなくて喋る方」に変わっていった。 しかし、喋る方の仕事を中心に30年ほど働いてきて分かったのは、実は喋るのと書くのは、根っこではつながっているということだ。 アナウンサーの仕事では、人に語って伝えるための準備として、何をどう話すかを考えなければならない。どの順番で話すとわかりやすいか、どういう言葉を使うと一番伝わるのか、冒頭で何を言えば興味を持って聞いてもらえるか、最後はどんな言葉で締め括るのか。新人として初めて担当した3分の中継リポートの頃から、今のラジオ生放送でのトークに至るまで、変わらずこの作業を続けている。 30代に入ってからのある時、「文章を書く時も、準備段階は、話す仕事と同じなのでは」と気づいた。どの順番で書くとわかりやすいか、どういう言葉を選んで表現するかなど、脳内の整理作業はほぼ同じだ。そして、その整理作業については、仕事で鍛錬を積んできていた。昔よりノウハウだってあるし、嫌いな作業ではない。そう気づいてからは、大昔の「サリーの冒険」の頃とはまったく違うレベルで、書くことが楽しくなった。自分がどういう文章が好きで、どんなふうに書きたいかという理想も描きやすくなった。 このエッセイのように、書く場はその時の自分の内面をそのまま映せる、貴重な場所だ。どういうテーマで書くか、どこまで具体的に書くか、読後感はどんな感じにするか、すべて自分で決め、文章を生み出す。自分ひとりで「0を1にする」のだ。実は、私の他の仕事は、「1を2にする」とか「2を5とか10にする」仕事がほとんど。 例えばラジオも、局や時間帯によって、音楽のテイストも、コーナーごとの内容の方向性も決まっている。他にも「1分10秒でまとめて」とか「今日のゲストコーナーではこんな話をしてほしい」と注文されたり。大まかな枠が決まっている中で創意工夫し、全体の付加価値を1でも2でも上げていくのが私の仕事となる。 しかし、文章は、コーナー分けもない、テイストも決まっていない。何も書いていない真っ白な紙に、ゼロから自由に言葉を紡いでいく。「無を有にする」感じだ。人に合わせる必要はないけれど、「今日は仲間のアイデアに乗っかっていこう」ということもできない。作業は自由だけれど、サボれないし、エネルギーが要る。大変さと面白さが背中合わせなのだ。 しかし、苦しむからこそ、自分の中を深く掘り下げ、まさに”棚卸し”ができる。書くことは自分自身とじっくり対話する作業であり、今の自分の心の中でモヤモヤしていることを掘り下げるチャンスにもなる。抽象的な概念や感覚を、言葉に落とし込む機会。
また、私は常に見たこと・聞いたこと・体験したことを頭の中で分析、考察する癖がある。そこから新たな気づきが得られると、とてつもなく興奮したりしている。それを「誰かに伝えたい」「記録したい」という思いも、文章にすることで昇華される。 集中して書いたあとは、毎回へとへとになりつつも、脳内も気持ちも整理されるので、凄まじくすっきりしている。私にとって書くことは唯一無二のマイ・スペース、自分の魂をキュッキュッと磨く手段なのである。
住吉 美紀