伝説のスター夫妻が愛したフェラーリ275GTB
1960年代のハリウッドとヨーロッパを席巻した伝説的カップル、若手女優ジェーン・フォンダと映画監督ロジャー・ヴァディム・プレミアンニコフ。彼らが選んだ一台の名車が、RMサザビーズの“プライベート・セール”に出品されている。RMサザビーズはオークション・ハウスではあるが、購入希望者が指値で入札する販売形式のプライベート・セールも開催する。 【画像】ジェーン・フォンダが所有していた当時の姿を残す、優美なフェラーリ275GTB(写真12点) 二人は1965年8月にラスベガスで結婚し、ヴァディムの故郷フランスと南カリフォルニアを行き来する、華やかな大西洋横断の生活を送っていた。魅力的で裕福で才能があり、さらなる成功への意欲に満ちた二人は、誰もが羨むような理想的な生活を送っていた。もちろん、カーライフも優雅であった。 ヴァディムはフェラーリ250カリフォルニアSWBスパイダー(シャシーナンバー2175GT)を売却後、1966年6月15日にフェラーリ275GTB(シャシーナンバー08641)を購入した。シャシーナンバー08641は275GTBの製造後期に該当し、ロングノーズのスチールボディ、トルクチューブ、ウェーバー製キャブレター3基を搭載していた。 パリのフェラーリ正規ディーラー、フランコ・ブリタニック・オートを通じて販売され、その後ヴァディム(ロジャー・プレミアンニコフ名義)の下で登録番号64 SW 75として登録された。その夏の後半には、同じ登録番号のままフォンダに名義が移転された。 二人は275GTBを約2年半所有し、その間、A級セレブリティならではの被写体となった。1966年8月には、サントロぺで車から降りる二人の姿が撮影された。また、1968年10月には生まれたばかりの娘、ヴァネッサを連れ、フォンダが助手席に座っている様子がカラー写真としてファイルに収められている。 1968年11月、275GTBはフランコ・ブリタニック・オートに返却され、1404 W 75(業者プレート)として再登録された後、リヨンのタマレ氏が購入した。フェラーリ歴史家マルセル・マッシーニによると、すぐに赤色に塗り替えられ、彼の会社名義で1191 DG 69として登録されたそうだ。そして、1972年4月にシャシーナンバー08641はリヨンのクリスチャンとアンヌ・バヴレーの所有となった。 彼らの所有期間中、シャシーナンバー08641はレースでも活躍した。ピエール・バルディノンの有名なマ・デュ・クロサーキットに登場し、1968年グルノーブル冬季オリンピックで3つの金メダルを獲得した元ワールドカップスキーレーサーのジャン=クロード・キリーがステアリングを握った記録がある。アンヌ・バヴレーは1974年9月にリヨン近郊のリモネスト=モン・ヴェルダンヒルクライムに、そして10月にはマ・デュ・クロのクープ・デ・ダムに参加。 1980年4月16日、シャシーナンバー08641はモナコのホテルやカジノを所有・運営するソシエテ・デ・バン・ド・メールのディレクター、ミシェル・フェリーの所有となった。この時点でも赤色の塗装は維持されていたが、クロームのフロントグリルガードは撤去され、フランスでの使用のため黄色いヘッドライトが装着されていた。一時的にモナコで再登録された後、トゥールーズのコレクターに売却され、275 TM 31として再登録され、地元のイベントやラリーに参加した。 1988年には、フランスのフェラーリ・ディーラーでありコレクターでもあったジャン・ギカスの手に渡った。その後、別なフランス人オーナーを経て、約20年前に現在の出品者の手に渡った。 過去5年間で、シャシーナンバー08641は、フォンダとヴァディムが所有していた当時の姿である、アッズーロのボディにネロのインテリアという元のカラーリングに戻すための全面的なフルレストアが施された。また、フェラーリ・クラシケの認証を受け、オリジナルのシャシー、エンジン、ギアボックスを保持していることが確認されている。 なおシャシーナンバー08641は2021年6月、イタリア・ミラノで開催されたRMサザビーズにて出品されたことがある。その時は225万5,000ユーロで落札された・・・、はずだった。ただ、RMサザビーズによるシャシーナンバー08641の車両紹介文を読み込んでみると、2021年6月の出品者と今回の出品者は同一人物であることが伺える。落札されたものの決済に至らなかったのだろうか?…もしかして、オークションに懲りてのプライベート・セール? 文:古賀貴司(自動車王国) Words:
古賀貴司 (自動車王国)