「そんなことまで頼んでない」闇に葬られた山一証券もう一つの「報告書」 朝日新聞の記事で「情報リーク」を疑われた“マチベン”弁護士が真相を語るー平成事件史(19)戦後最大の経営破たん【インタビュー】
もし、山一の「社内調査委員会」も、経営陣の息のかかったお抱えの調査委員会だったとしたら、「われわれは、大蔵省との関係の調査は依頼されていません」と忖度して大蔵省のことは書かなかったかもしれません。 ========== 山一証券の「社内調査報告書」は、不祥事を起こした企業の「第三者委員会」のモデルとなり、日弁連の「第三者委員会ガイドライン」につながっていった。 「報告書」はあれから27年経った今、読み返しても、決して色あせていない存在感を放っている。それは平成から令和になっても、企業の中で同じようなことが起きているからだろうか。 これまで暴力団排除、山一証券、長銀など多くの修羅場をくぐってきた国広の信条は一貫して「火中の栗を拾う」ことである。しかし、それは自分だけではできないと言う。 「みんなで知恵を出し合うのが私の仕事のスタイル、私が誰かに何かを教えるのではなく、私もいろんな人から教わることがあり、共同作業だと思っています。なので、先生と呼ばれるのが嫌なんです」 そして最後にこう念押しされた。 「この山一調査報告書の原動力は嘉本さんたち、山一の社員であり、私はあくまで(当事者ではないのに)委員長の嘉本さんの侠気にシンクロした『助っ人』に過ぎません。あるいは、山一社員の無念の思いが乗り移った『恐山のイタコ』みたいなものかもしれません」 それは、危機管理の第一人者となった今でも、決して変わらない、原点を忘れない“マチベン”の言葉であった。 (つづく) TBSテレビ情報制作局兼報道局 「THE TIME,」プロデューサー 岩花 光 ■参考文献 山一證券「社内調査報告書」社内調査委員会、1998年 国広正「修羅場の経営責任」文春新書、2011 本林徹 編「新時代を切り拓く弁護士」、2016 清武英利「しんがり 山一證券最後の12人」講談社、2015年 読売新聞社会部「会長はなぜ自殺したか」新潮社、2000年
TBS NEWS DIG Powered by JNN
【関連記事】
- 「大蔵省の責任を書かないという選択肢はなかった」山一証券社長は大蔵省から含み損の「飛ばし」を示唆された…“ミンボー専門”の42歳の弁護士が「調査報告書」に込めた思いとはー平成事件史(18)戦後最大の経営破たん
- 「山一証券破たんの調査をやってくれませんか」なぜ“ミンボー専門”のマチベンだった42歳の弁護士が、前例のない調査を引き受けたのか 今だから明かせる「報告書」をめぐる舞台裏ー平成事件史(17)戦後最大の経営破たん
- 「もう一度、東京地検特捜部で仕事がしたかった」がん闘病の妻を見舞うため病院に通う特捜検事 「ヤメ検」若狭勝弁護士の知られざる日々ー平成事件史 戦後最大の総会屋事件(16)
- なぜ警視庁幹部はワイロを受け取っていたのか、見返りは・・・小池隆一事件の「ブツ読み」から浮上した前代未聞の警官汚職ー平成事件史 戦後最大の総会屋事件(15)
- なぜ警視庁幹部はワイロを受け取っていたのか、見返りは・・・小池隆一事件の「ブツ読み」から浮上した前代未聞の警官汚職ー平成事件史 戦後最大の総会屋事件(15)