「そんなことまで頼んでない」闇に葬られた山一証券もう一つの「報告書」 朝日新聞の記事で「情報リーク」を疑われた“マチベン”弁護士が真相を語るー平成事件史(19)戦後最大の経営破たん【インタビュー】
ーー山一証券は経営破たんを招いた「約2600億円」の損失隠しで、行平前会長や三木前社長ら3人が有罪判決を受けましたが、「調査報告書」では、同社の歴史、企業体質、営業手法まで遡って検証しています。そこの意義については、どうお考えでしょうか。 国広弁護士: 捜査機関が立件する刑事裁判では、あくまで何年何月何日に、刑罰法規で規定されている行為を実行したか、ということだけが、立証の主題になります。 しかし、なぜそうなったのか、組織風土的に何が問題なのか、歴史的経緯はどうなのかは立証の主題ではない。 刑事事件では不祥事の「全体像」は見えないのです。私たち「調査委員会」が書いたのは法的な犯罪の成否を判断するものではない。経営陣が、どういう風にごまかして、危機を先送りしたかという「全体像」を描いた記録なんです。 そういう意味で「調査報告書」は、山一証券がなぜ隠蔽を続け、どのように転落して幕が引かれたのか、全体像が見える「ルポルタージュ」だったと思います。 山一の件はともかく、企業不祥事が起こった場合、調査委員会で、企業が自浄作用を果たせれば、わざわざ東京地検特捜部が捜査に着手したり、東証が上場廃止したり、証券取引等監視委員会(SESC)が入ってくる必要はないという場合もあると思います。 むろん、看過しがたい悪質な犯罪行為は別ですが、進化した資本主義社会は、企業に「自律能力」があることを前提としています。 何でも国家権力が介入するのは、自由な資本主義社会とは言えず、優れた「調査報告書」が公表されれば、当局は「自浄作用」を認めて「行政処分」や「刑事処分」までは不要との判断材料になり得ると思います。これが第三者委員会の「当局調査代替機能」と呼ばれる公益性なんです。 ーーもう一つの「法的責任判定委員会」の報告書ですが、公表できなかった一番の理由は、どこにあったと思われますか。 国広弁護士: 当時は「第三者委員会」という言葉も存在しない中で、「判定委員会の依頼者はだれなのか」という本質的な問題が横たわっていました。判定委員会は山一証券の依頼、つまり「野澤社長の依頼」を受けているのであり、野澤社長に対して忠実義務があると。ですから、野澤さんが公表をノー言っている以上、何もできないと言われました。 一方でわたしは、依頼者は野澤社長ではなく、「職を失った社員、株主、顧客、取引先すべてのステークホルダー」であると主張しました。すでに公表していた「社内調査報告書」の中でも、ステークホルダーへの公表を約束しており、「判定委員会」の結果も当然、これに含まれると考えました。そもそも野澤社長は、「判定委員会」との形式上の契約者にすぎないわけで、ステークホルダーに対して公表する責任と権限を持つのは「法的責任判定委員会」であるというのが私のロジックでした。 しかし、「判定委員会」の他の弁護士らは、「国広さんの言うことは理念としてはわかるが、今の法律解釈論としては無理があり、山一側が自発的に公表するよう説得するしかない」という意見が多数でした。 結果的に朝日新聞はスクープしましたが、会社が正式に調査結果を公表することはなく封印され、私も諦めざるを得ませんでした。 このときの悔しい体験があって、社長ではなく、ステークホルダーが依頼者であることを明確に定義付けて、経営陣に不利なことも書けるような独立性が保証された第三者委員会のあり方を、はっきり示すべきだと強く感じました。
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