「『彼ら』がやったことなんだから」…被災から1年・能登の銭湯店主が地域交流で見つめた「復興の重み」
湯をあみ、ととのい、活力に換える――いまやリラクゼーションの一助としても愛される公衆浴場・銭湯には、単なるリフレッシュやコミュニケーションの場としてだけでなく、「公衆衛生」という社会的な使命がある。元来担っている銭湯の役割は、被災地においてその重要性を増す。 【写真】「ボランティアに来るな」の議論が吹き荒れる中…被災銭湯店主の本音 令和6年能登半島地震からもうすぐ1年が経過する。震源地となった能登半島北端の珠洲市において、発災からわずか18日で銭湯「海浜あみだ湯」を再開させた、移住者にして銭湯運営責任者の新谷健太さんに「あたたかい湯を沸かす使命」や、被災地域のこまやかなニーズに応える「銭湯ボランティア」の推進、そして「復興」という言葉がもたらす率直な心境を聞いた。 前編記事『「ボランティアに来るな」の議論が吹き荒れる中…震災後の能登で銭湯の復旧を続けた店主の「本音」』より続く。
悲しみに寄り添う「復興」
――今回の取材で伺いたいのが、「復興」という言葉の重みです。被災当事者ではない取材者が「復興」という言葉をかざす暴力性をかんがみ、実に慎重な態度を持ってしまうのですが、激震地に住まう新谷さんたちは、どのように「復興」という言葉を受け止めておられますか。 その言葉は確かに難しいですよね。実感としてはようやく「復旧」してきたぐらいの印象なので、まだまだ「復興」のフェーズではないと思います。 しかし一方で、未来や町を考えるならば、復興していかなければならない。僕たち自身はというと、基本的には復興という言葉をあんまり使わないんですが、外の方はそこまで気にせずとも大丈夫ですよ。 どちらかというと、自分の基本的なスタンスは「悲しみに寄り添う側」ですね。小さな希望に繋ぐこと、地域を温めながらより良い未来や町にとっての大切なものを考えたい。そして、できることならば住民と行政の間に軋轢を生まず、分断されないことを望みます。 ――新谷さんの暮らしぶりは移住が大きな転換点になったでしょう。移住者の手で地域コミュニティの銭湯を運営する、ということは地域の方からどのように受け止められましたか。 自分自身、心惹かれて、意志を持って移住しているので、被災を経てもこの町が好きで、この町に何かしたいと強く思っています。 移住者である僕らがこんなに悲しいんだから、地元の人たちの気持ちは計り知れず、口が裂けても「気持ちが分かる」なんて言えません。 そうした思いを持ちつつ、技術者として銭湯を1月19日に再開業した時点で、「僕は移住者ではあるけれど、今できることが銭湯だったので、皆さんの力になりたい」と発信したところ、地域の皆さんが応えてくださった、というのが実際のところですね。 声を大にして、「こんなことになったからこそ、関り続けたいんです」と、言い続けていますね。