安部公房:混迷の時代にこそ読まれるべき前衛作家
現代にも通じる都市へのまなざし
ここで冒頭の問いに戻り、安部文学の国や時代を超えた普遍性、特にその現代性について考えてみたい。石井岳龍監督の映画『箱男』は、その問題へのアプローチを見せてくれている。映画の冒頭では、1973年に生まれた箱男を「新人類のサナギ」と表現し、そこから新しいタイプの人間が生まれ出たことを示す。それは、人に見られずに見る者、つまり、都市に増殖した監視カメラのような存在であり、インターネットにアクセスする匿名の人々でもある。フィルムカメラにこだわり、群馬県高崎市などでロケーション撮影したレトロな風景も背景に使いながら、石井監督は『箱男』を現代的な映像作品として再生した。映画のオープニングでは、安部が撮ったホームレスなどのスナップショットも使われている。石井は安部の写真作品も含めて、箱男のまなざしを現代に復活させたと言えるであろう。 新人写真作家の登竜門である木村伊兵衛賞の選考委員を務め、写真に強い関心を持っていた安部が撮影・現像したモノクローム写真は、新宿、渋谷、ニューヨークなどの都市の片隅に生きるホームレスや冷蔵庫やアーケードゲームなどが転がったゴミ捨て場などを撮影したもので、いずれもアマチュアのレベルを超えるクオリティーの高い作品だ。これらの写真は2024年に出版された『安部公房写真集』で確認することができる。
ナショナリズムや人種主義への嫌悪
南満州鉄道が開発した日本人街と旧来の中国人街が分かれていた満州の奉天での幼少期から、中国人街やその外の荒野の探検を好んだという安部は、生涯、周縁へのまなざしや、異民族への関心を持ち続けた。 エッセー「内なる辺境」(1968年)で、安部はフランツ・カフカをはじめとするユダヤ系作家への共感を表明している。彼はいわゆる反ユダヤ主義について、「本物の国民」に対する「偽の国民」、正統に対する異端のシンボルが「ユダヤ人」だとする。「正統概念の輪郭をより明瞭に浮かび上がらせるための、意識的な人工照明として、ユダヤという異端概念が持ち出されてきたらしい」と安部は考察する。一方、当時は建国からわずか20年だったイスラエルにおいても、すでに「本物」のイスラエル人という概念が形成され、遅れて帰化したユダヤ人を「偽物」扱いする傾向が出てきたことも安部は問題視する。こうした問題提起は、現在のイスラエルにもそのまま当てはまるものだろうし、ロシアとウクライナの関係、日本における在日朝鮮・韓国人問題にも共通する点があるだろう。 小説『他人の顔』(1964年)においても、安部は仮面という偽のアイデンティティーを手に入れた主人公が当時日本人客の少なかった朝鮮料理屋へ足を踏み入れるという「冒険」を描いた。自宅で気を紛らわすためにつけたテレビのニュースで、ニューヨーク・ハーレムでの「黒人暴動」を伝える場面が飛び込んでくる場面もある。ニューヨーク市立大学教授のリチャード・カリチマンは『他人の顔』の中で差別問題に触れた箇所に言及して、「共同体の形成にはその陰画としてのマイノリティーが創造されることが必要だ」と述べている。そして安部がこの作品で在日の韓国人や朝鮮人や米国での黒人を扱ったことを、ナショナリズムと人種主義の共謀に対する攻撃であったと論じている。ブラック・ライブズ・マター運動や現在も繰り返される日本での人種差別につながる問題意識を安部は半世紀以上も前から抱いていたと言えよう。 安部公房はメディア革命の20世紀を生き、1993年1月22日に没した。インターネット時代の到来を目にすることはなかったが、万華鏡のような作品群は極めて予言的・普遍的だ。混迷の時代にこそ読まれるべき前衛作家と言えるだろう。
【Profile】
鳥羽 耕史 早稲田大学文学学術院教授。専門は日本近代文学、戦後文化運動。1968年東京都生まれ。北海道大学文学部卒業。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学、博士(文学)。著書に『運動体・安部公房』(一葉社、2007年)、『1950年代 「記録」の時代』(河出書房新社、2010年)、『安部公房 消しゴムで書く』(ミネルヴァ書房、2024年)など。