安部公房:混迷の時代にこそ読まれるべき前衛作家
「消しゴム」で書く作家
安部公房は日本近代文学の主流であった私小説を書かなかった。デビュー作の『終(おわ)りし道の標(しる)べに』(1948年)は難解な哲学的小説で、満州で亡くなった親友の記憶が濃厚に反映されたフィクションであった。その後ガラリとスタイルを変え、名前をなくした男や、繭(まゆ)に変身した男の話などを平易に語る短編集『壁』(1951年)で芥川賞を受賞した。満州から日本を目指す少年たちの冒険を描く長編小説『けものたちは故郷をめざす』(1957年)では、出身地を架空の地名「巴哈林(バハリン)」にして、生まれ故郷などフィクションにすぎないという認識を示した。 浜辺の村に昆虫採集に行った男が、女が一人で暮らす砂穴の家に閉じこめられる『砂の女』(1962年)はベストセラーとなり、1964年の勅使河原宏監督による映画はカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞。67年にはフランスで最優秀外国文学賞も受賞している。作家の身辺の出来事を書く私小説とは対極にある、SF的な想像力とリアルな描写の両立が安部文学の特徴である。前衛文学として評価されたことが、世界各国で翻訳されたことの理由の一つとも言えるだろう。 『終りし道の標べに』の新版を1965年に出した頃から、安部はさらに徹底して自らの“生”の軌跡を消去するようになった。初版にあった「亡き友金山時夫に」という個人に宛てた献辞を「亡き友に」と改め、故郷の友を殺しつづけるための記念碑を建てると宣言した。青春期を過ごした満州の記憶を消去したのだ。初期作品集『夢の逃亡』(1968年)に収めた短編には、もともと、聖書や実存主義哲学のモチーフがあり、二人称の「君」への呼びかけも多用されていたのだが、安部はそうした要素を消し去って出版した。「後記」では、作家としての出発が戦後だったことを幸運だったと述べ、「青春がいずれ虚像だとすれば、廃墟(はいきょ)の青春ぐらい、青春にふさわしい条件はないのだから」と結んでいる。安部は虚像としての青春の痕跡を「消しゴム」で消して書き換えることで、本当の虚像にしていったのだ。