“昭和99年”語り継ぐ「さらば故郷…永遠に帰らじ」『特攻隊』が出撃前に滞在した宿 家族と最期の面会の場 決意記した手紙も
戦争末期、生きて帰ることが許されなかった特攻隊。 大阪・八尾市には、出撃直前に特攻隊が滞在した宿があります。 ■【動画で見る】妊娠の妻を残して特攻「日本は戦争に負けた」ミッドウェー海戦で敗北後 妻に語った本音 生きて帰ることが許されなかった特攻隊 そこに彼らが残した思い。生と死のはざまで揺れる葛藤がありました。
■兵士が家族と最期の面会をした宿「政乃家」
【巽 精造さんのノートより引用】「吾が故郷 大阪の地 短かゞりし滞在なれど 父よ!母!姉妹よ! そしてなつかしき いとしい人よ さらば故郷…永遠に帰らじ」 ふるさと・大阪への思いをこう残し、特攻隊として戦地に散った若者がいました。 与えられるのは片道分の燃料だけ。 自らの命と引きかえに攻撃する特攻。生きて帰ることは許されませんでした。 戦時中は陸軍の飛行場だった、大阪・八尾市にある八尾空港(旧・大正飛行場)。特攻隊を含む多くの兵士が立ち寄り、そして、飛び立っていきました。
その近くに今もある建物は当時、立ち寄った兵士が宿泊した旅館でした。 名前は「政乃家(まさのや)」。1990年前後に廃業しましたが、今も面影を残しています。 (※現在は借家で一般の方が居住。公開はしていません。)
1928年(昭和3年)に開業した政乃家は、戦時中は軍の宿舎に指定され、客のほとんどが兵士。 ひとときの休息。そして戦地へ赴く前に、家族と最期の面会をする場にもなっていました。 当時の話は、世代を超えて語り継がれていました。 長野県で旅館を営む森木幸子さん(56歳)は政乃家の女将の孫。 当時6歳だった母親から、政乃家の思い出を聞いて育ちました。
【「政乃家」女将の孫 森木幸子さん】「(母・敏子は)『よく遊んでもらった』と言っていたと思います、兵隊さんに。折り紙やったか、めんこやったか、物(絵)を描いたのか、『よく遊んでもらった』と言っていた」 母親の敏子さんには、子供心にも、印象に残っていたことがあったそうです。 【「政乃家」女将の孫 森木幸子さん】「兵隊さんの家族が来られた時は、『絶対に行ってはダメ』と言われたと。母はその時、何を意味するのか分からなかったが、言われたことは守って(部屋に)行かなかったと」