「そんなものを隣に建てて患者の命を縮める気か!」と茨城の病院が大激怒…必要インフラなのに全国で嫌われる《火葬場》の「深刻な現実」
故人との最後の別れを告げる神聖な場所のイメージが強い、火葬場。しかし過去には、驚くべき事件が多数起こっている。 【マンガを読む】必要インフラなのに全国で嫌われる《火葬場》の「深刻な現実」 元火葬場職員である下駄華緒氏の『火葬場事件簿 一級火葬技士が語る忘れ去られた黒歴史』は、そんな火葬場にまつわる全国各地の事件や騒動を丹念に調査した話題の書籍だ。 同書より、茨城県で起こった「火葬場建設」にまつわる騒動について、一部抜粋して紹介する。 前回記事〈「裕福な老夫婦」がこっそり火葬炉に入り、自ら点火…かけつけた警察官が仰天した「壮絶死」の哀しい理由〉より続く。
火葬場は必要インフラなのに…
亡くなった人のご遺体を焼く火葬場は、人々が都市で生活していくうえでは欠かせない施設である。 しかし、死のイメージがつきまとうからか、重要な社会インフラであるにもかかわらず、地域から歓迎されないことも多い。 今回はその一例として、茨城県取手(とりで)市の火葬場建設のときのごたごたを紹介しよう。 時はさかのぼって昭和62年(1987)、東京近郊のベッドタウンで人口が増加していたときだ。 茨城県取手市もそのひとつ。JR常磐線で首都圏と結ばれたこの町は便利で、昭和30年代は2万人ほどだった人口が、30年経つと約8万人にまで増えた。 この急激な人口増加に追いつかなかったのが火葬場だ。かつては一軒だけあったが、昭和40年代に老朽化のため廃止されて以来、火葬場がなかったのだ。
難航する用地取得
そこで取手市は隣接する守谷(もりや)町(現・守谷市)などとともに火葬場組合を設立。新たに建設する土地を探してきたがこれが難航していた。 人口増のため次々に宅地開発が進んでいた時代。火葬場がつくられたら地価が下がる、と地域から難色を示されていた。当初は候補地が7つもあったが、そのどれもがとん挫することに。 やがて業を煮やした市長が、市役所の敷地内に火葬場をつくる、とウルトラC案をぶち上げたものの、「火葬場と議場を一緒にするのか」と市議会の猛烈な反対を受けて実現せず。その代替案として「目につかない場所を」と、市庁舎の駐車場スペースの地下に建設してはどうか、という案も出たが、これも地元の猛反対を食らってとん挫した。 どの用地もだめで途方に暮れていた取手市であったが、そこへ救いの手が伸びてきた。一部住民の協力により、昭和62年1月に火葬場用地を手に入れることができたのだ。その場所はというと、取手市の南西の隅っこ。隣の守谷町に接する土地である。 ここに火葬炉を5つ備えた斎場を建設する計画を立てたのだ。 ようやくひと安心かと思えたが、ここでさらに難敵が立ちふさがる。この火葬場用地のすぐ横、守谷町側にリハビリ病院が立っているのだが、そこがクレームをつけてきたのだ。